晴空便り

エッセイスト・生け花アーティスト・末富晶の晴れた空へつながるブログ

「たった一つのいのちを生きるお話会」にて

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11月11日の日曜日、大阪のブランシュエットさんにてお話会をさせていただきました。

 

「たった一つのいのちを生きるお話会」

 

という題だったのですが、「不登校でも大丈夫」の本の内容をもう少し深め、誰もが歩く「自分の道」について皆で輪になって語り合う貴重な場となりました。

 

ブランシュエットさんのお部屋の雰囲気も、来てくださった皆さんも、本当にとても素敵で、心から良い会だったと今もまだしみじみ余韻にひたっています。

 

「自分を生きる」

 

という言葉を、私の感覚ではここ何年かで特によく聞くようになった気がするのですが。

 

そういうことが皆の関心になるほど、「自分を生きていない」と感じている人はとても多いということなのでしょう。

自分の人生なのに、自分を生きていない。

そしてそのことを、ともかくとても残念に思っていて、なんとかしたいと思っている。

 

そういう人が増えてきたから、

色んなところで色んな人が

「こうしたらいいよ」

という方法をたくさんのやり方で示してくれているのだと思います。

 

 

ごくごく単純に言ってしまえば、

これはもう、時代が変わってきた、としか表現できないことなのかもしれません。

 

 

恐らく私たちの歴史の中で、もうだいぶんと長い間、

「自分の人生を生きているかどうか」

ということが、これほど多くの人の関心にのぼったことなどないのではないでしょうか。

 

どこかでふっとそうしたことを考えたとしても、

それを突き詰めてみようとする人などほんの一部の「変わり者」で、

社会の大きな部分をしめるには至らなかった。

 

「自分の人生を生きているかどうか」

はつまり、

「自分とは何か」

という問いにつながってきて。

 

それはここしばらくの間、

宗教家か哲学者か

そうした人たちの分野としてまかされていて

普通の人は考えずとも良いことだ、という風潮があったように思います。

 

 

でも恐らくもっともっとずっと前には、

その問いの重要性を今よりもっと身近に、自然に、感じている時代があった。

 

私たちの文化という土の中に、

その過去が今もまだ埋もれて残っている事に、夜明け前の光のような、ほのかな希望を感じています。

 

 

手ずからそれを発掘していく作業は、

きっと楽しいものでしょう。

 

過去からつながるあれこれを、各々の人生と照らし合わせて。

 

 

願わくば、明るい方向に進んでいけますように。

 

 

 

 

紅葉の美しい季節となりました。

 

みなさんどうぞそれぞれに、

良い秋の日をお過ごしください。

 

 

 

   末富 晶

 

 

 

 

 

 

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