晴空便り

エッセイスト・生け花アーティスト・末富晶の晴れた空へつながるブログ

ツクル森 へ

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京都の京北という地域で9月23日〜24日の二日間にわたって開かれたイベント「ツクル森」にて、本「不登校でも大丈夫」の紹介とお話会をさせていただきました。

 


行く前にはどんな雰囲気になるかなと想像したり、話すことを考えたりしていたのですが、いざ着いてみたら想像以上にその場が和やかで暖かいので

「ああ、これはもう本当に大丈夫だ」

という気持ちになり、

最初の日のお昼前と、次の日のお昼すぎ、

テントの下に集ってくれた方々とレジャーシートの上にピクニック気分で色んな話に花咲かせ、

ただただ素晴らしく楽しかったなぁという感想を持って帰ってきました。

 

 

「森」というのは、ごくごく単純に考えれば「木」がたくさん集まってできているもので。

自分自身という「木」を、どんな風にかそれぞれに大切に育ててきた人たちが集えば
それだけであらゆる場所を「森」に変える力を持っている。

 

そんな現実を、夢のように表してくれた場所の力に心揺さぶられた二日間…。

 

 

 

 

「木が集まれば森になる。森は「シン」とも読むでしょう?

一人ひとりに満ちた「気(キ)」が集えば、やがて「神(シン)」になるということだよ」

 

 

 


とは、はるか十数年ほど前に友人に教えてもらった言葉としてずっと心に残っているもので。

 

だいぶ昔のことなので記憶が違っているかもしれないけれど、
そういう諺か何かが中国なのか日本なのかともかくずっと伝わってある、というお話だった。

 

そしてそれはそこで終わりではなくて、
「シン」がたくさん集まればまた、今度は別のものに変じる、、、と、確かそういうことだったはず。


ちゃんとした元の文章を知りたいと思って検索しても探し当てられず、
だからここに書くことのほとんどは、私が受け取った私の解釈になってしまうけれど。


きっとそれは、この世に数多くちりばめられている真実のカケラのうちの一つだ。


と、そう思った感覚だけは消えずに残っているのです。

 

 

小学校3年生で学校に行かなくなってから、
私は多分、自分という木にどうやって水をやれば良いか試行錯誤を繰り返す日々を過ごしていたはずで。


ともすれば枯れてしまいそうに思える木の根近くに水の気配を感じては、
水脈にたどり着くまで井戸を掘り進める地道な作業は、周りからは大変な辛い時期のようにばかり思われてしまったりもするのだけれど。


今思えばその時間こそ、何の邪魔も入らない、私好みの静かな時間だったし、

それはどちらかと言えば、むしろ大変楽しい時だったように思います。

 

この世界という「森」の中で、私自身も一本の木として、させていただける役割があることが本当に嬉しい。

 

まだまだ、ここから。

はじまる何かを楽しみに。

 

訪れる秋に起こる事にもまた、心揺らしていきたい。

 

 

 

みなさまもどうぞ、よい日々をお過ごしください。

 


   末富 晶

 

 

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