晴空便り

エッセイスト・生け花アーティスト・末富晶の晴れた空へつながるブログ

雨の日に書く晴空便り

 

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5月になりました。

 

お久しぶりの、晴空便りです。

 

 

更新していない間も、何度か書こうとしていて。

 

いくつか書いて、ストックもしてあったのだけれど。

 

なぜだかこれは、今出すタイミングではないかな、という気持ちが続き。

すんなりスムーズに流れる日を待っていたら、今日になりました。

 

別にそんなに大げさな内容ではなく、

今日のこの文章とさほど変わらない肩の力のぬけ方のものばかりなはずなのですが。

 

それでも自分の中で、

何かうまく伝えたいことが書けなかったな、と思えると。

やはり更新をしぶってしまいます。

 

そうこうしているうちに、

いつも読んでいるブログや

新しく出会ったブログなどで

 

その更新されずにストックに入っている私の言葉とほぼ同じ内容のものが

 

先に更新されているのを目にしたりする。

 

特に直接の知り合いではなかったり、遠く離れて住んでいたりするのに、

どうしてこういうことが起こるのか本当に不思議なのですが。

 

私が書いたこととそっくりそのままのことを、

代わりに書いていてくれたりするのです。

 

もちろん好きで読んでいるのだから、多少なりとも考え方の好みや方向性が合っている方々なので、そういったことが起こるのも別におかしくはない、と言えるのですが。

 

それでも、ほんの2日くらいの間のズレでこうしたことが起こるとなると、

偶然ではないのかな、という気がします。

 

 

私はこのブログで、

自分の不登校体験についてや

生け花の世界の話などを、

主なテーマとした記事を書くことが多いけれど。

 

実際のところ、別に不登校にも生け花にも何も関係のない

全く別の世界の話題にも、私が書いたことと本質的には何ら変わらない話が立ち上がってくる。

 

不登校は、私の中で分かりやすい例として挙げているけれど、

本当は、人が抱える問題や悩みの底はつながっていて、

いつも辿ると一つのところにたどりつくものなのだと感じます。

 

私たちは、例えるなら一本の大きな木で。

たくさんの枝に分かれた先にある、一枚の葉っぱのようなものなのかもしれない。

 

枝をたどり、幹をたどり、地中にもぐれば、

その根の広がる先につながる大地は、

結局ほかの木々と同じ場所で。

 

人の苦しみの生まれる場所が、同じ地中なら。

 

希望の光の生まれる先も、また同じ空にある。

 

同じ時に異なる場所で同じ歌が歌われているのを心強く受け止めて、

しっかり地中に根をはり、まだまだ空に枝をのばす、

一本の大きな木でありたいと。

 

雨の日に、

晴れた空を思い浮かべて、感じます。

 

 

新緑の時期。

 

桜の花もよいけれど。

 

あおい紅葉の美しさもまた、格別ですね。

 

 

みなさんどうぞ、すてきな日々をお過ごしください。

 

 

 

   末富晶

 

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