晴空便り

エッセイスト・生け花アーティスト・末富晶の晴れた空へつながるブログ

一期一会の旅人たち

 

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しばらく前からうっすらと気が付いてはいたのですが。

 

 

私はどうやら、比較的

「道を聞かれやすい人」であるらしいです。

 

他の人と比べてみたことがないので、

平均値よりどのくらい多いかといった

具体的な程度の差は分からないのですが

 

とにかくなんだか、

地元はもちろんのこと、全然地元じゃない旅先でも

下手をしたら東京にいたって

なぜかよく道を聞かれます。

 

「明らかに地元の人」といった感を出した

スーパーの袋をぶらさげて歩いている時ならいざ知らず、

東京などの大都会にいるときは自分なりに少しは身なりを気をつけており、

近くからコンビニまで出てきましたよ、という風ではないはずなのですが。なぜでしょうか。

 

一つは、たぶん、

見かけがおそらくとっても「害がなさそう」という点が大きいと思われます。

身体も小さく、女性ですので、相手にとって危害を加えられる可能性が少ないと感じられ、安心感があるのかもしれません。

 

二つめは、たぶん、

スマホに疎い方であることが関係しているかもしれません。

電車に乗っていても

スマホも本も見ていなければ耳にイヤフォンもしていない」

という状態にあったのがその時その車両でたまたま私だけ、

というケースも多く、

誰かに質問したいときょろきょろしている人とは自然に目が合いやすくなり、

始発で発車待ちの車内にいるとよく「この電車○○駅に行きますか?」と聞かれたりします。

 

(とはいえ私も一応はスマホを持っていて、もちろん目を向けることもあり、

それがいつの間にか長時間におよぶこともあって

「全く使っていません」というわけでは全然ないのですが。

 それと同じくらいかそれ以上にはぼーっとしている時も多いかなと思うので、

声をかけやすい雰囲気を知らず醸し出しているのかもしれませんね)

 

 

 この間は、そのいつもの「道を聞かれる」の変化球バージョンといった出来事がありました。

 

バス停に並んでバスを待っていると、

前に並んでいた男性の背中がくるりとこちらを振り返り

「すみません」

の声かけ。

どうやら外国からの観光客の方のようだったので、

ああ何か聞きたいのかな、と

その推測はあたっていたのですが。

 

「バスの券は車内で買うことができますか?」

 

そう訪ねてきたのは、彼自身ではなく、彼が手にしたスマホでした。

こちらに向けられた画面に日本語で書かれたその文章を

私が内容を理解すると同時か一拍くらい遅れて機械の女性の声が抑揚なく読み上げます。

 

 「はい、買えますよ」

 

簡単な質問で良かったと思いながら

オーケーのサインと共に自信を持って頷けば、男性はまたもスマホを操作。

次の画面には

 

「もしかすると運転手から買いますか?」

 

の文字があり、それをまた同じ機械の声が読み上げてくれました。

 

「はい、そうです」

 

大きな肯定と共にまた頷くと、男性は笑顔で自分の定位置に戻った…と、まあそれだけのやり取りだったのですが。

 

もしかしたらもうとっくの昔から常識なのかもしれませんが、

おそらく男性が母国語で打ち込んだ質問の文章を、自動的に日本語に翻訳&読み上げてくれるアプリがあるのですね。

まだまだ翻訳機能と読み上げの性能には難ありで、日本語として不自然な部分もあるけれど、それでも意味は十分通じるし、今のような旅先でのちょっとした質問には重宝しそうです。

 

一昔前には考えられなかった質問の方法に、少々面食らいつつ

技術の進歩はきっとこれからも進み、

そのうち翻訳も声音も違和感がなくなり

言葉の通じない者同士でもよりスムーズなやり取りが出来るようになる。

その日は案外、近いのではないか、と思えました。

 

それはドラえもんでいうところの、翻訳こんにゃくが実現している世界と言えるのかもしれませんね。

 

フランス語を学びはじめて早幾年。

相も変わらず亀の歩みを続けてもがいている身としては、

もうすぐ言語の違いが会話の壁になることもなくなるのかなぁと想像すると

なんだか複雑な気分になってきます。

 

それは、とても素敵な、未来のようだけれど。

 

だけどどうしてでしょう、

あの時の男性が、質問の答えに安堵して笑顔を向けた先が

こちらではなくスマホ画面の中であったことが

なんだか一抹の不安を感じさせます。

 

 

母国語とは別の言葉を

自分の口から話そうとすることと

翻訳こんにゃくさながらの道具を使うのと、

 

根本的にはきっと、「何か」が違う。

 

 

さて、その「何か」とは何なのか。

 

どちらが良い悪いではなく、

その違いが何かをはっきりさせ、

自分自身の中に答えを見つけておくこと。

 

来るべきもっともっと科学技術が進んだ後の世界において

きっとそのことは、とても大事なことなのだろうなと思えた一件でした。 

 

 

日に日にあたたかくなる今日この頃。

あともう少しで、再び桜の季節がめぐってきますね。

 

みなさんどうぞそれぞれに、

すてきな春の日々をお過ごしください。

 

 

    末富 晶

 

 

 

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