晴空便り

エッセイスト・生け花アーティスト・末富晶の晴れた空へつながるブログ

7年目の春の日に

 

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この国に大きな傷跡を残したあの日から、7年の月日が過ぎました。

 

多くの人にとってきっとそうであるのと同じように、

私はまだこの日のことを語る言葉を持たないと感じているけれど。

やはり何年経っても、当時のことを思い出して、新たな生き方を考える、特別な日だと思えます。

亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

 

7年というと、人間の身体の細胞すべてが入れ替わる年月だ、とか

いいやそれは真実ではない、とか

いろんな話を聞きますが。

 

感覚的には確かに、7年くらいでちょうど何かが一巡りする、という気がします。

 

どこで区切らなければならない、という決まりはないけれど

それでも何かここら辺で

これまでの自分とは決別し、新たに生きはじめなくてはならない、

そう思えるようなタイミングが、7年に一度くらいの感覚で訪れてくる。

 

 

歩いて来た人生の道筋が少しずつ長くなるにしたがって、

ある程度の心構えとともに

「またきたか」

と、その時期に向き合えるようにもなるようで。

 

もう覚悟を決めるしかなくなるような

その瞬間さえもいっそ清々しく思え

いつの間にか嫌なことではなくなっていると感じます。

 

そのタイミングが来れば、

「私はこうだから」

と普段決めてかかっている「自分の枠」みたいなものを

あっけないくらいに簡単に、壊したり越えたりするチャンスとなる。

 

自分をどんな人間にしておくか、ということは

実は自分自身で決められるのだけれど、

 

それを認めるのは色んな意味で恐いので

あえて知らないふりをしておきたくもなる。

 

そのことはきっと全く、悪くない。

悪くないのだけれど、

人がもし、成長し、変わってゆける種族なのだとしたら

いつまでも同じ場所に留まろうとすることは

どこかの時点で必ず、その人自身を苦しくさせてしまうものなのだろう。

 

 

いつも通りの繰り返しの考えが

梅干しを見てつばが出るのと同じような

単なる「反応」と呼ばれるものならば、

 

本当の「思考」は

その無限に続く惰性のループから

自らを救い出す蜘蛛の糸のようなものかもしれない。

 

助け出されるのも自分なら、

助けるのも自分。

 

 

 

7年のくぎりを越えて、

次の世界への旅路はつづいている。

 

 

 

    末富晶

 

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