晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

秋の開花期

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<いけばな・ピンクッション・ハラン> 末富晶  2017年9月

 

 

 

台風が去り、また静かな空模様。

 

昔からよく人々は心模様を空模様に例えてきたけれど、

なるほど、然り、と、

毎瞬ごと形を変える自分の心の内を眺めていると大きく頷けます。

 

「悩み」とか

「苦しみ」とか

「悲しみ」とか

 

凡そ「ネガティブ」とひとくくりで言われる感情は、

だいたいにして良いようには思われていないもので、

 

そうしたものを感じているときによくよく自分を観察してみると

だいたい何だか内側に向かってキューっと締め付けられているような、

辺りの風景ごと身体がちっちゃくちっちゃくなっていくような、

視界も狭くなっていくような

とにかく中へ中へ内へ内へと固まろうとする力を感じ、

アリ地獄に落ちまいとでもするような、それに抵抗する力があって

そのやり取りを頑張るから、ネガティブの内にいることは大変なのかもしれない、とも思えます。

 

「楽しい」とか

「嬉しい」とか

「ありがたい」とか

 

凡そ「ポジティブ」とくくられる感情はその逆で

 

外へ外へと広がって、

なんだかパーっと弾けて空も飛べそうなくらい彼方へと軽々行ける感覚がしたりもする。

 

その勢いに乗って色んなことが出来るのは、もちろん素直に考えて「とってもいいこと」であるのだろうけれど。

 

正直な所最近は、「ネガティブ」が悪いとか「ポジティブ」が良いとかいう風にはもう感じられなくなってきている感覚があります。

 

ネガティブの内へ内へと向かう力は、一見苦しいけれど、

この大地にまだしっかり自分で立ててもないうちに、自分の位置を見つけてもいないうちに、

ぱーっとお空まで行ってしまうよりは

苦しみながらあり地獄に向かっていって、その中へあえて進む方が、本当の「自己の探求」となる…という可能性もある。

 

穴に落ちてもがいていると思っていたら、奥へ奥へとのみこまれ、ぱっとぬけたその先は青空だった…ということも、あるのかもしれない。

 

外へ外へと向かう力と

内へ内へと向かう力は

きっと同じものなのだ。

 

「私」が「私」のことさえ、見失わなければ。

 

そんな風に、感じています。

 

大きな飛躍の前には屈伸が必要で、そのためにぐっと身を屈める時もあるし。

空を飛んでいるうちに傲慢になり、自分の位置を完全に間違えることもある。

 

さて、今「私」はどこにいるのか。

 

その問いかけが、実は一番大事なのかもしれません。

 

 

なんだなんだ秋の開花期かしらと思えるほど、色んなことが一気に花開こうとしていることを感じている今日この頃。

 

自分に言い聞かせるつもりで、書いております。

 

ネガティブもポジティブも引き連れて、

また一つ、次の扉を開けてみます。

 

 

    末富晶

 

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