晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

「はやい」と「おそい」

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今朝は朝から雨がしとしと降っていて、

夏だということを忘れるくらい、なんだかとっても涼しいです。

 

久しぶりにゆっくり座って、書く事を決めぬままにこうしてブログを書いています。

 

このところもまた、色々なことが起こり。

いつものように喜んだり驚いたり時には考え込んだりの日々ですが、

自分の日常のリズムが、前とは何か違っていること、

起こることや見えることも、また違っていること、を少しずつ感じています。

 

リズムやテンポというものは「速い」と「遅い」の間のどの点かに収まるものだと思っていたけれど

例えば速くなって、速くなって、もっと速くなって、もうこれ以上は無理となった時、

ふとそれを「遅く」感じるようになる場所がある、という気がします。

 

遅く感じるようになった場所は、多分その次の段階の一番遅い点で。

おそらく気づかぬうちにもう、別の世界にワープしていて。

だから、一番速いのは、実は一番遅い場所でもある。

 

ずっと同じ世界の、同じルールでいくと思うから、人はきっと何年も先のことについて思い悩んだりできるのだろうけれど。

本当は、明日にでも、もう同じ世界にいるとは限らない。。。という生き方もある。

 

出口と思ったらまた入り口。

 

そんなことを繰り返し、入れ籠の中へ中へと進むように、もしくは螺旋階段を下へ下へと下り、上へ上へと上るように。

そんなふうに、みんな人生の旅をそれぞれのリズムで歩んでいるのかもしれない。

 

行くのが上でも下でも中でも外でも東西南北どこでも、

そんなことは実はあまり関係なくて。

 

生きていることはそれそのものでダンスを踊るようなものだから、

起きてきた出来事に、どんなステップを踏むか、どんなリズムでそれを受け取るかあるいはかわすか。

そんなあれこれを楽しめるようになった時、きっと人生の達人になる。

 

昔、山田洋次監督の「十五才学校4」という映画の制作に関わった時、

私は不登校の子が書いた自身の心の内として当時の自分の詩を提供したけれど

 

 

ほとんどの奴がバスに乗っても

ぼくだけは歩いてつっききるんだ

早く着くことなんて目的じゃないんだ

雲より遅くて十分さ

小鳥の小さな呟きを聞き逃したくないんだ

 

 

ここでも、「はやい」と「おそい」が知らない間に重要なこととして上げられているなぁと今更ながら思うのです。

 

これは、よく言われるように、そしてきっと当時の私自身もそう考えていたように

「ゆっくりのんびり行こうよ」

というメッセージなのではなくて。

 

「遅い」が「遅い」とは限らない、

ということを言っているのかもしれない。

 

 

自分のリズムを持つ人が、

そしてそれを

世界と照らし合わせながら常に変化させていける人が、

 

きっと軽やかなステップで自らの人生を踊ることができる。

 

 

流されずに。

 

留まらずに。

 

 はやいとおそい、の間を縫って。

 

 

 

亡くなった人たちがかえってくると言われるお盆の時期に、

ふと、そんなことを考える朝です。

 

 

    末富晶

 

 

 

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