晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

柵を越えて

 

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小学校3年生から学校へ行かず不登校児となって、そのまま大人になった私ですが。

 

不登校児となってから後、自分のことを「柵から出たヒツジのようだ」と感じていた時期がありました。

 

「柵」は言うまでもなく学校のことで、

仲間もたくさんいる、安心安全な場所から一人飛び出てしまい、

あらかじめ用意された食べ物もなく、オオカミでいっぱいだと聞く外の世界へ

何の準備も後ろ盾もないまま、さまようことになってしまったので

それはもう大変なことをしてしまったと怖がって身を縮めていたのが初期の頃。

 

いいや、これこそが自由なのだ。

もう出てしまったのだから、自分はこの道を行くしかないのだ。

これが自分にとっては最良の道なのだ。

と、半ば開き直ったのがその少し後。

 

 

強がりと実践と試みを繰り返し、

 

怖くても一歩ずつ、進んできた道が今につながっている。

 

 

そして不思議なことに。

 

 

いつの時点でか、あの時あんなにはっきりしていた

「あちら」と「こちら」を隔てる「柵」が、実はどこにも存在していないと気づいたのです。

 

 

学校をやめた。

とか、

会社をやめた。

とか、

 

それによって、人生が大転換する重大な選択だと思われがちだけれど。

 

実際のところ、

学校をやめたから人生が変わるのではなくて、

学校をやめたから強制的に考え方、日々の思考を変化させざるを得ず、

そうして気づいたら人生の景色が変わっていた…という方が、本当なのではないか、と思えます。

 

 

より大事なのは、毎日の思考のパターンの方で。

 

それがパターン化されている。

いつもほとんど、同じことの繰り返しになっている。

 

それこそが「柵」の中にいる、という状態なのだと、気づくこと。

 

 

勝手に柵をつくって自分を閉じ込めていたのは、

実は自分自身なのかもしれない、と疑うこと。

 

 

「柵の中にいる自分」

を見る

「もう一人の自分」

のより広い視点を持てたとき、

 

柵はひとりでに消えてゆく、と感じます。

 

 

 不登校とか、そういうことは、

そうしたパターンを破るチャレンジの、単なる結果でしか、ない。

 

 

本当に大事なことは、いつでも見えない世界、

その人の内面で起こっている。

 

そんな風に思うのです。

 

 

 消えたと思った柵の先に、また新しい柵…

 

入れ籠のようにどこまでも、続いて行くけれど。

 

意思を持って、何度でも、それを越えていくこと。

そうした勇気が、本当の人生をつくっていくのかもしれない。

 

 

 

何かにへこたれる度、

そんなことを思い出しています。

 

 

 

   末富 晶

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