読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

詩を書く人

f:id:seikuudayori:20170302190442j:plain

 

パリやミラノでの海外華展をきっかけに生け花と詩を合わせた表現をするようになり、

それまでノートにただ書き留めるのみだった言葉たちが、

アクリル板に乗って形を持ち空間に浮かぶのを見るようになりました。

 

 

f:id:seikuudayori:20160928100107j:plain

<写真・2016年 華道壮風会 東京展 出展作品>→詳しくはこちらの記事へ

 

 

 

詩を書くようになったのは何歳の時の話なのか。

 

正確には覚えていないけれど。

14か15の頃にはもう、言葉を書きためたノートを数冊持っていたような気がします。

 

世の中にもし、

詩人となる要素を持ち合わせている人と、持ち合わせていない人がいるとするなら

私は明らかに前者なのでしょう。

 

毎日何かを書いているわけでは決してないのだけれど。

 

人生のある時々、ふと思い立ったように、何冊も言葉がノートを埋める時期があります。

 

普段の自分がいるスペースとは別の空間から、

こう言っては何だか怪しい響きがするけれど

その言葉たちはふと「降りて」くる。

 

私にとってそれはごく自然なことで。

「あ、きた」と思えば書くだけのことで。

書いたまま忘れてしまったりもして。

 

そしてとても不思議なことなのだけど、

その10年後、20年後の自分がまた、その時の言葉たちに色んな気づきをもたらされたりもする。

 

「こんな言葉を書いていたのか…」

 

と、時空を超えて届いた過去からのメッセージに

驚かされることもしばしばあるのです。

 

それが誰か他の人のためにもなる言葉なのか、

その辺りのことはまだよく分からないのだけど。

 

少なくとも私は私のために、

時折こうして、言葉をためるのだと思うのです。

 

 

 

「ポエム」とか「ポエマーだね」とか

この国で普通に言われる時、

あまりいい意味じゃないことが多いのはどうしてなのか。

 

 

音楽と同じくらいに身近な場所に

 

本当は詩も、存在していると思うけれど。

 

 

詩人の要素を持つ方は、

どうぞたった一人でも、

その言葉を書きとめて欲しい。

 

たとえ他の誰の目に触れることがなくとも、

書きとめたその小さな一文字ずつの積み重ねが

少しずつ世界を美しくする。

 

 

そんな気がするのです。

 

 

 

   末富晶

<晴空便りホームページ>

seikuudayori.wixsite.com