晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

新しい年にむけて

 

 

f:id:seikuudayori:20170105111356j:plain

 

 

あけましておめでとうございます。

 

数年前には辺り一面雪化粧なお正月もあったと思うのですが、今年はなんだかとても暖かくよく晴れた元日となりました。

 

三が日の間に見た動画で、印象に残ったものがあります。

 

英語のドキュメンタリーだったので隣で説明してもらいながらの視聴だったのですが、

アラスカの先住民族の過去と今を描いたその30分ほどの映像は、すべての言葉を理解できなくても深く心に響くものがありました。

 

その映像を見ながらのある瞬間、強烈に感じたのは、人は文化がなければ生きていけない存在なのだということ。

 

文化という言葉が適切なのかは分からないのですが、あるいは「つながり」と言ってもいいのかもしれない。

 

家族や、他の生き物や、自分の生きている大地とのつながりを大切にし、過去から脈々と続く大きな流れの中に生きていた彼らは、ある日唐突にその流れを打ち切られ、自分たちの文化の外の世界に暮らさなくてはいけなくなった。

 

狩りも、儀式も、言葉もなくし、

生き抜くために外の世界の一員になったけれど。

 

「つながり」をなくしたまま生きることが難しく、多くの自殺者が出ているという衝撃的な内容でした。

 

新年早々にこんなことを書くのは適切ではないかもしれないけれど。

 

最初はどこか遠くの国の話に感じていたその映像が、私には内容を知るほどに自分の国の姿に重なって見えたのです。

 

日本はよく言われるように、自殺者がとても多い国で。

 

私はそれをずっと、その多くは人間が「忙しすぎる」から、つまり「すること」が多すぎるために起こっている出来事なのだろうと思っていました。

 

だけどそれは、違うのかもしれない。

 

人が自ら命を絶つほど絶望する時というのは、すべての「つながり」が切れた(と感じる)状態の時で。

 

それはもしかすると、何も「すること」がない、と思える時のことなのかもしれない。

 

 

「すること」は多いのに、本当の意味での「すること」

つまり自分の人生において価値がある「すること」は一つもないと。

 

そう感じることで起こる出来事であるのかもしれないと思えたのです。

 

 

文化はおそらく、私たちの暮らすこの国の中でも、そういう意味でたくさんの「忘れ物」の宝庫で。

 

どこかの時点で失われた、誰かにとっての価値ある、人生をかけた「すること」がその土地土地に用意されていて。

だけども今は、その在り処が知れないほど地中深くに埋もれてしまっているものも多くある。

 

生け花でも、着物でも。

 

私がそうしたものに心の深くを揺すぶられるのは、おそらくこうして現代につなげられてきたこの土地の文化の中に、自分の「すること」を見つけられる感覚があるからなのだろうと思うのです。

 

そしてそれはきっと、他のたくさんの人にとってそうである可能性も高く。

 

だからこそ、やはり、そのために動いていきたい。

 

春に種を蒔くように。

芽吹く可能性のある土地に、祈るように水をやりたい。

 

いまだ地中に埋もれたままのそれらも一つずつ掘り返し、汚れを洗い、元の姿と使い方を思い出しながら。

 

これから先、

そうしたことがとても大事になってくるのではないか。

 

そう感じて動いている人たちが、私のまわりにもたくさん現れている。

そんな時代になってきたように感じています。

 

 

2017年、

晴空便りはたぶん、ここからが本番。という気がします。

 

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

   末富晶

 

 

<晴空便りホームページ>

seikuudayori.wixsite.com