読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

観々臘月尽

 

f:id:seikuudayori:20161218135001j:plain

 

 

師走も半ばを過ぎると、いよいよ山も白くなり冬の景色を目にすることが多くなります。

 

「観々臘月尽」

みよみよ ろうげつ つく

 

と読むというこの言葉は、先日のお茶のお稽古の時に先生が用意してくださった掛け軸にあったもの。

 

「ほらほら、ぼんやりしている間にもう12月ですよ」

 

という意味なのですよ、と教えていただき

 

本当にそうだわ、一年て早いわ。

 

と思っていたのですが。

 

 

帰ってから数日経って。

かなり遅いのですが、

 

「…12月って、晩年のこと?もしかするとあれは、人生を指しての言葉だったのでは…」

 

と気づくに至りました。

 

「ほらほら、ぼーっとしている間にもう一人生終わりますよ」

 

と。

 

そうならないように、しっかり生きなさい、と。

 

そういう意味でもあったのですね。

 

 

私が住んでいるこの国には、幸運にもはっきりとした四季があるから。

 

自然と春夏秋冬を人生になぞらえるような考えを、誰に教わるともなく受け入れているような気がします。

 

 

春に生まれ

 

夏に育ち

 

秋に老いて

 

冬に死す

 

 

そしてまた、春に生まれ…繰り返し繰り返す

 

たとえば桜の命というものを、

その花と見るのか、木と見るのか、あるいは根とつながる土にまで広げるのかでその「生」と「死」を感知する感覚は大きく異なるけれど。

 

私たち一人一人の命をもし、桜の花に近いものとして捉えるなら。

 

つぎの12月を待たずに否応なく、この形を終えるものなのだとしたら。

 

臘月に尽くのをぼんやり待っていないで、やはり、この形の間にできることをなるべくやっていきたいし、そのために生まれているのではないかと思うのです。

 

 

そういうことを、たぶん私は昔から考えていると思うけれど。

 

最近思うのは、何をやるにしても四の五の言わずにもう人間的なレベルを上げるしかないのだろう、ということ。

 

 

世の中には色んな人が書いたり言ったりする成長や成功のための助言が溢れていて、

一見その通りにすれば今の自分の世界とは違う全く別世界に生まれ変われるかのごとくで。

そしてそれはある意味、その通りなんだろうけれど。

 

 

この世はたぶん、一人一宇宙の世界で。

 

私と隣に座る人との世界は、とても似ているけれど同じではなくて。

 

私の世界の「真実」は、どうしても自分で見つけなくてはならないように出来ている。

 

 

なんとなくだけれど、そんな気がしているのです。

 

 

観々臘月尽

 

 

そしてまた、新しい年がはじまる。

 

 

 

みなさんどうぞ良い冬の日をお過ごしください。

 

 

 

   末富晶

 

<晴空便りホームページ>

seikuudayori.wixsite.com