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晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

私の中の「真実」と、たくさんの人の声

不登校と私

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昨日、大津市市民活動センターさん主催の「不登校の子どもを抱える親やご家族の悩みを共有する会」に参加して、少しですが私自身の不登校体験のお話をさせていただきました。

 

事前申し込み不要の会だったので、主催者の方も一体何人くらいの方々が集まってくださるのか当日にならなければ分からなかったような状態だったのですが、蓋を開けてみれば会場がほぼいっぱいになるほど、たくさんの方に来ていただきました。

 

私の他に、普段子どもたちの支援をされているNPO法人などの団体さんが3団体お話をされることになっており。

話す順番を知ったのは開始直前だったのですが、なぜか私が最後、大事な締めの役割ということになって、3団体の方々の活動のお話を感心したり納得したりして聞かせていただき、「私だけ全然違う超個人的な話だけど良いかしら」と思いながらの出番待ちでした。

 

最後だったので、私がお話をはじめさせていただく頃にはすでに開始から1時間以上が経過していて・・・

 

以前に話上手の友人から

「人が集中して話を聞けるのは1時間前後。だから学校の授業もそれくらいで休憩に入る」

と聞いていたので、肩の力をぬいて気楽に聞いてもらったらいいなと思い、そのまま

「時間的にきっとお疲れだと思うので、どうぞリラックスして聞いていただければと思います」

とお伝えしてから話はじめたのですが。

 

ぼーっとされたり、

眠くなったりしても仕方ないだろうと思っていたのに。

 

みなさんが本当に、真剣に聞いてくださるので。

 

私も話しているうちにどんどんと熱が入り、

今ここで伝えたいこと、この日これだけは言おうと思ってきたこと、を上手くとは言えないまでも私なりにしっかりお話することができました。

 

1時間を超えていても、それほど真剣に聞いてくださるということは、それだけ真剣な思いを持って集まっておられたということなのだろうと思います。

 

「やっとの思いでここまで来た」という方もおられたのかもしれません。

 

それだけ「本気」の満ちた空間でした。

 

 

その「本気」を身体中で浴びながらお話をさせていただいて、今更ではありますがやはり私には「不登校を経て大人になった人」として出来ることが何かきっとあり、どんな形かでも、これからもそれを続けていくのだろうと思えたのです。

 

昨日させていただいた話の中で、私が「これだけは」と思って何度か口にしたのは

 

「大多数の人が「そうだ」ということが、真実であるとは限らない」

 

という内容の言葉でした。

 

 

たぶん大勢の人が、「不登校=(イコール)不幸なこと」と考えていて。

 

私も最初の頃は、それをそのまま受け入れて

不登校児である私=不幸な人」という図式に苦しんでいたのですが。

 

ある時、延々続くかと思われた暗澹たる時間の中で

 

「それは本当なのか?」

 

という疑問を持つことが出来ました。

 

今振り返ればきっとその時に、暗い雲の隙間から一縷の光が差したのだと思います。

 

そしてその光は、「今現在その経験の真っ只中にいる自分こそ、それを「本当」にも「嘘」にもすることが出来る存在なのだ」という気づきに繋がっていったのです。

 

 

「大勢の人が「きっとそうだ」と思っていること」

 

 

「自分の真実」

 

は違っている場合もある。

 

 

そして、「自分の真実」は自分が決めて良いのだと。

 

  

もしかしたらそれが、「自由」ということなのかもしれません。

 

 

この広い世界の中で、何を自分にとっての真実としていくか。

 

 

この先もきっと、その問いかけは続いていくのだろうと思います。

 

 

 

 

昨日あの場で話を聞いてくださった皆さん

本当に、ありがとうございました。

 

 

 

   末富晶

 

 

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