晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

本物の考え

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11月も半ばになると、そろそろ今年も終わりだなぁという気配が漂いはじめますね。

 

来週の週末にはまた、元不登校児としてお話をさせていただく機会があります。

 

といっても今回は学生さん企画の会で、不登校と関わる色々な団体の方々が来られるようなので私はその中の一人、経験者として自己紹介を少し・・・というような感じになるかと思うのですが。

さて、どんな時間になるでしょうか。

 

まだまだ今年が終わるまでに、色々ありそうですね。

 

 

「こんな風に、自分の経験をみなさんの前でお話するようになるとは、思いもしなかった」

 

最近講演会などをさせてもらう機会が増え、その中でよく言うようになったこの言葉は、実は半分本当で半分はそうでもないのです。

 

今でもはっきりと覚えているのですが、小学校高学年頃…たぶん12才か13才かそのくらいに、私はとある大人の方々の前で一度、はっきりと

 

不登校の経験を持つ人は少ないから、いつか大人になったらこの経験が役に立つ日が来ると思う」

 

と言ったことがあるのです。

 

その時は確か、その大人の人は私に、「将来について考えた方が良い」というアドバイスをくれていて、その人が「手堅い」仕事として挙げた職業にあまりにもさっぱり興味が湧かなかったので、私としては不登校を軌道変更してその道に行くよりも、このままの方向でつき進んだ方が自分には合っているということをなんとか伝えたかったのだと思います。

 

結果として、「まさか」という感じで笑われてしまい、その方々は遠からぬ関係の人たちだったこともあって、その反応は半ば予想していたもののやはりショックでした。

 

 

 こんなにも、伝わらないのか、と。

 

 

泣きこそしなかったけれど、深く傷ついて、その後何も言えなくなってしまった。。 

 

 

 

けれど今思えば、それで良かったのかもしれません。

 

その後はもう大っぴらには口にせず、心の中でひそかに持っているだけの想いでしたが、今になって「ああ、やっぱりそうだったな」と、あの時考えていたことが少しずつ現実になっていっている感覚があります。

 

 

唐突なようですが、最近思うのです。

 

 

もし自分が真剣に思う内容が、それを言葉に出して伝えようとしたとき、周りの誰にも理解されないと感じるものだったとしたら。

実はそれこそが、本物の考えなのではないか、と。

 

 

自分の中の本物は、他の誰とも似ていないので、すでに見本があったり容易な言葉で説明がつくものではなく。

全く理解されないように感じても、むしろそれは、当然なのかもしれません。

 

 

焦らずとも、時が来て、自分が行動で示せるようになれば。

 

少しずつ考えが現実になっていくうちに、知らず知らず、あの時笑っていたはずの人たちがよき理解者へと驚きの変貌を遂げていることもあります。

 

 

きっとそういった内面の想いは、どんなに大切で真剣なものか、その人以外の人には、見えないものなのです。

 

だから時が来るまで、大事にしまい、誰にも見せなくていい。

 

 

周りの一人も理解してくれなくても、「やっぱりなし」と消してしまわなくてもいい。

 

 

時折ながめて、その考えに勇気をもらって、その日なすべきことをしているうち。

 

それが本物の考えなら、きっと動く時が来る。

 

 

そんな風に思います。

 

 

 

今年は私の個人的活動「晴空便り」が動き出した、とても嬉しい一年でした。

 

まだ一か月半ありますが、もうすでに2016年には感謝でいっぱいです。

 

 

 

これから年末にかけて、だんだんと寒くなりますね。

 

みなさんどうぞお身体ご自愛ください。 

 

 

 

   末富晶

 

 

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