読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

着るものに、宿るもの

晴空便り

f:id:seikuudayori:20161102190809j:plain

 

先日、ある人と着物の話をしていて。

ふとした瞬間にその方がおっしゃった

 

「着物には、微生物が住んでいますからね」

 

という言葉が、それから何日もたった今もなんだか忘れられずに心に残っている。

 

昔の布、絹や綿やウールは、いろんな目に見えない生き物の住処になっているらしいと。

 

ごく当たり前かもしれない話だけれど、そういう視点からはあまり考えてみたことがなかったのでとても新鮮に感じたし、そんなことを考えたこともなかったということ自体が少しショックでもありました。

 

ああ、だからか。

 

だから昔の着物は、生きている感じがするのか。

 

着物を着るということはつまり、布の材料となった植物なども含めた命を纏うということなのか。

 

と、一人になった電車の中で大きくうなずいたのです。

 

 

大手アパレルメーカーの広告動画で、「何十回洗ってもOKな丈夫な服」を宣伝しているけれど。

 

服との付き合い方がそんな風に変わったのは、一体いつ頃からだったんだろうと、たぶん動画制作者の意図とはまるで違う視点で、何度もクルクル早回しで洗濯機に入れられるその服の様子を眺めていました。

 

「大切に扱う」以外に、服が長持ちする可能性があるなんて。少し前まで私たちは、考えてみたこともなかったんじゃないだろうか。

 

 家も、家具も、着るものも、何もかも。

 

本当に、ほんの少し前まで、手に入れたその時から劣化が進むようなただの「物」ではなくて。

出会ったその時から関係が始まり、付き合いが深まるごとに愛着も価値も増すような関係性がごく当たり前にあって。

 

誰かと出会って、恋をしたり、友だちになったりするのと同じように。その「物」ごとに異なる関係性を、長い時間をかけて育てていって。

地球上に生きるあまたの生物の力と、人間の作り手の心によってこの世に生まれた「物」を、あるいは「命」として捉えていたのではないんだろうか。

 

ああだから、使い込んだ物たちにいよいよ寿命が来て最後に命尽き果てた時、それらを「供養する」という考え方があったんだ。

 

今の「物」は「命」よりも「商品」と捉えられていること多いから。

買ってきた服が何らかの理由で着れなくなったりした時、

 

「もったいない。高かったのに」

 

というような言い方をするのが普通だと思い込んでいたりする。

 

でも本当は、 もったいないのはその命を生かすことができなかったからなんだろう。

 

 

人と人との関係が希薄になりつつある現代が「無縁社会」と呼ばれたけれど。

 

「縁」はたぶん、人間同士の間にだけあるものではなくて。

 

他の生物や、心の宿った服や道具や、自分の立つ大地などとも当たり前に結ばれているものだろうと思うのです。

 

まわりにある、自分たち以外の「命」に目を向けて。

もう一度、そのつながりを大切に扱っていく。

 

 

そんな時代がこれから、やって来るような気がしています。

 

 

   末富晶

 

 

<晴空便りホームページ>

seikuudayori.wixsite.com