晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

天の岩戸が開く時

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7日の日曜日、お陰様で無事に二回目の講演会を終えることができました。

「ひきこもりがちな方と歩む研修会」の中で「不登校とわたし~学校の外の世界~」という題でお話させていただきました。

 

来てくださった方、携わってくださった方、本当にありがとうございます。

なかなかに色々と印象的な、濃い一日となりました。

 

なんと前回に引き続き二回目という方もおられ、同じような長い話をまた聞きに来てくださったことに驚いたという一コマも。。。そんな方がいてくださるとは、全く予想外でした。ありがとうございます。

 

さて、< 天の岩戸が開く時 >

 

このタイトルとこの講演会の話と、何がどう繋がるのか、予測することが出来る方は果たしておられるのでしょうか。

 

天の岩戸は、神話のあの天の岩戸です。

私自身は、日曜日あの場に行かなかったらきっと共通点を見つけることは難しかっただろうなと思います。

それくらいこれも予想外で、驚きました。

 

最初の挨拶で主催者側の方が

 

「日本最古のひきこもりは、天の岩戸に隠れた天照大神です」

 

とおっしゃったのです。

 

私はその時、講演を目前にして緊張がピークだったのですが、

思いがけない言葉に「えっ」となり一瞬緊張状態の身体のことなど忘れてしまいました。

 

天の岩戸の話は、どこかで聞いて知っていて。

 

天照大神が隠れてしまったので、世界が闇になって皆が困り、

あれやこれやと策を尽くしてついに外に出てもらい、やっと世界が明るくなった。

と、まあかなり簡単にまとめてしまえばそういう話なのですが。

 

それを踏まえて

「ひきこもりの方々は、きっと光をもたらす存在になる」

と、(正確な言葉は忘れてしまいましたが)そんな風にまとめておられて。

 

最初の挨拶で神話が出てきた驚きと、そんな風に考えている方がおられることへの感服とが私にこれまでとは違った世界の感覚をもたらしてくれたのでした。

 

 

講演会後の、ご家族や当事者の方たちとのお話の中でも思ったのですが。

 

もちろん不登校児やひきこもりと呼ばれている方のすべてがそうだとは言いませんが、その暮らしの中に自由にできる時間が有り余るほどあることは確かであり、結果的には家や部屋の中でたった一人、「葛藤」や「洞察」の濃密な時間を重ねることになっている人たちが、想像しているよりも、ずっとずっと多くおられるのかもしれない。

 

「今いる場所の何かがおかしい」「そこで生きていくためには自分の中にある大事なものを壊さなくてはいけない」と切実に感じていて、それだけは避けたいとまず緊急退避し、安全な暗い空間で自分と向き合う時間を持っている人。

 

周りから見れば何も動いていないように見えて、

前のブログで書いた、「私もあなたも、知らない私」を、実は日々探求している人。

 

( 過去記事:私もあなたも、知らない私 )

 

自覚がある、ないに関わらず。

 

それが修行でなくて、何なのだろう。

 

そうした人たちが必要なだけの時間を重ね、より広く深い「私」を携えて心を開いた時。

 

各地の岩戸が開く時。

 

世界が光に満ちるとは、私にとっては絵空事でも何でもなく、きっと一つの真実だろうと思えるのです。

 

孤独な心の修行は他の誰にも見えない場所でのたった一人の行いだけれど。

 

それを経て至ったより深い自分となった今、もうその時間を持たなかった頃の自分にはかえりたくない。かえることができない。

 

そういう風に感じている方が、実はたくさん現れてきている。

 

そうした兆しを、見ている気がします。

 

 

   末富晶

 

 

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