晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

出会うだけでは出会いにならない

 

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今月、ひょんなことから高校の教室へお話をしに行く機会をいただきました。

 

通信制の学校で、普段生徒の皆さんは自宅学習をしていたり別の場所で授業を受けたりしているのですが、スクーリングの時期だけ合宿形式で何日か泊まりがけで学校での授業を揃って受けるのだそうです。

 

最初に「高校にお話をしに来ていただけませんか」と連絡をいただいた時、

「え、ほんとに?」

と私が驚いたのも当然と言えば当然のことだろうと思うのです。

 

このブログを読んでくださっている方はもうご存知だと思うのですが、私は小学校3年生から学校に行っていない筋金入りの不登校児でしたので、最初にそのお話を聞いた時には

「高校も出てない人が高校にお話に行ってええんかいな」

という感じでした。

 

 

学校側が良いと言ってくれているので、きっと良いのでしょう。

 

 

それにしても、十代の子と会って話す自体とても久しぶりのことだな。

 

どんな雰囲気かな。

 

と、色々どきどきしながら行きました。

 

 

車に乗せていただいて、たどり着いた山奥の学校。

 

豊かな緑の中に、かつては村の小学校だったという校舎が建っています。

 

 

校舎の中や体育館を案内してもらい、広めの廊下や、体育館や、授業が行われている四角い教室と先生の勢いある字でいっぱいになった黒板などを見るにつけ、不思議なことにむくむくじわじわと、私の中で一種の郷愁のようなものが湧き出てくるのを感じました。

 

…これって、本当に、誰が聞いてもおかしな話だと思います。

 

だって私は、学校の思い出はほとんどないに等しいし、あってもあまり良いものではないからこそ不登校児だったと思うのですが。

 

実際には、その校舎の年期が入ったチャイムの音を聞くと何か身もだえするほどの懐かしさを感じました。

 

これはもう私個人のものではなく、DNAに刻まれた先人の感情を受けてのことなのかもしれません。

 

 

などと思っているうちに、私が参加させていただく授業が始まって。 

 

先生がまず「出会い」についての話をされたのですが、その中でとても印象に残ったのは

「出会うだけでは、本当の出会いにはならない」

という言葉でした。

 

その教室には15〜16才頃の生徒さんが集まっていて、先生はその子たちに色んな人と良い出会いをしていって欲しいと考えていて、こんな生き方をしている人もいるよ、という一人として私をゲストに呼んでくださったのですが、

その上で、

「出会うだけでは出会いにならないんやで」

と伝えておられました。

 

ああ、ほんまに、そうやなぁと。心から、そう思います。

 

この広い世界で、考えられないほど多くの偶然を経て他人同士だった誰かと誰かが出会い、知り合いになったりご近所になったり友だちになったり師弟になったり同僚になったり恋人になったり夫婦になったりして。

それを時に人は「縁」と呼んだりもするのですが。

 

たぶん、偶然のきっかけだけでは、私たちの出会いは育っていかない。

 

土に植えた種に水が必要なように、私たちの関係性が育つためにも水に代わる何かが必要で。

育てるかどうかは、ある意味自分しだいというところがあるのだと。

 

 

もちろん、育てようと思ってなかったのに勝手に育ってしまった、というものも含めての「縁」なのだろうとは思いますが。

 

ずっとただの知り合いで薄く長く付き合ってきたのに、ある時ふとその人の人生の深い部分に触れるきっかけがあり「この人はそんな思いを過去にしていたのか…」と急にその人のことを近く感じる、なんてこともあります。

 

出会っているつもりで、まだまだ出会えていない人が、実はまわりにいっぱいいる。

 

もしかしたら家族でも、いいえもっと言えば自分自身でさえ、その中に含まれるのかもしれませんね。

 

 

その高校には、あと2回ほど行かせていただくことになっています。

 

次にはまた生徒さんの顔ぶれも変わり、きっと雰囲気もがらっと変わるはず。

 

 

色々面白いことが起こります。

 

 

 

 

 末富晶

 

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