晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

素のまま、の難しさ

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昨日はいつもの教室と違う場所、最近はじまった先生宅でのおうち稽古でした。

華道壮風会の教室には、11歳の頃に門を叩いてから(いや、実際には叩く門はなく気づいたら入ってしまっていましたが)かれこれ20年以上もお世話になっています。途中お休みしていた期間もあるとはいえ、考えてみればずいぶん長い年月です。

どれだけ年月が経っても、生けても、それなりに技術が上がったと思っても、自分のスタイルが出来上がったと喜んでも、
そんなことなどなかったかのように、ある一定周期で、山というか壁というか、なんだか「全然できない」「どうだったっけ」という日々が必ずやってきます。

そういう時のお花は誰が見ても混乱していて、まったくよく分からないものになるのですが。


昨日、二回目に生けたこのお花は、こちらに向かって「こんにちは」と言ってくれている感じ。
可愛く、言葉のない会話ができるように感じるのです。

このところの激動期の中、素朴に咲いてくれていてほっと一息つきました。


私が生けるお花は、水盤の上でそっくりそのまま、私の心の様子のままに咲いてくれます。

 


見えない心を、見える形に現してくれる。

 

 

人はそれを見るだけで癒されたり、あるいは戒められたりする不思議な生き物のようです。

 

年月を積み重ねるうち、色んな物を取り入れ、合わなくて吐き出したり、素晴らしくてそのまま飲み込んだり、血肉にしたり、浄化したり。

ぐねぐねと変化を重ねながら、ある日、気づけば何周回って「元どおり」になっている。

でもその「元どおり」は前にいた場所と同じという意味ではないのだと。

16か7の頃に書いた「赤い花」という詩にそんな風に書かれていたな、と思い出す朝です。

 

 

 

 「赤い花」

 

同じ赤い花だとて

同志同志と思いなさんな

 

ただの赤々したものと

七色経ての赤とでは

おのずと色も違いましょうに

 

 

 

 

   末富晶

 

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