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晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

私の中にいる勇者・もしくは光と呼ばれるものについて

晴空便り

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昨日から、ブログを更新しようと書きかけて途中まで書きやめる・・・を何度か繰り返しています。

「安全な場所にいる人が、いつもの日常を過ごすことが大事」というフレーズを頭に入れて、きっとそうなのだとこの前の続きの調子で更新しようとしてもどうしても無理でした。


やっぱり私は今、熊本で起こった大地震によるこの衝撃的な数日間を、関西に身を置きながらも無視することはできない。


これは何も善人ぶって言うわけではなくて。

「他人事ではない」とか「明日は我が身」とかいったことが言いたいわけでもなくて。

多分私は、この地震やそれを体験した(している)人の生きた声が、こちらに向かい「今、どう生きるのか」の覚悟を問うているような気がしているのです。

 

 

今日と同じような明日が、必ず来るとは言いきれない。

 


本当はその方が真実で。

でもそれを直視するのはあまりにも怖いから、それを知りながら「変わらぬ自分」を保つのは困難だから、あえてそのことは横に置き、「明日は今日の続きである」という仮定の上に安心して生活をしているような毎日。


東日本大震災をきっかけに、いや、ひょっとしたらもっとずっと前から、その「仮定」の持つ効力が徐々に薄れ、「何も分からない」という現実がどんどんと表に現れてきている気がします。

 

次の瞬間のことさえ「分からない」現実に立った時。

自分の持っているものすべて、お金や物や肩書などをなくし、あるいはそれらが全く役に立たない現実に立った時。

 

それでも人間の中には、「その次の瞬間」に向けて最良の選択をする力が備わっているのだと思います。
今日のような明日が続いていく、と考えていた時には、あることに気づきもしなかったその力が、私の中にも確かに存在している。

そのことを、今回その力を現し、危機的状況を生き延びている人の姿から感じます。


もうここへきて、前のように「分かったような」日常を生きることはほとんど不可能なのだと。

 

何度目か分からないそんな思いを胸に、目の前の霧がまた一つ晴れたような気持ちです。

 


真剣に書きましたが、必要以上に深刻になっているつもりはありません。

もともとそのために、「晴空便り」は始めているので、この「一瞬一瞬に生きるすべ」を深めていくことに変わりはないのです。



それぞれの持つその力に、光やどる未来でありますように。

 

   末富 晶

 

<晴空便りホームページ>

seikuudayori.wix.com