晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

3月6日の講演会を終えて

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昨日、お蔭さまで無事に講演を終えることができました。
お集りいただいた方々、またスタッフの皆さん、ありがとうございました。

1時間は思っていたよりもあっという間に過ぎてしまい、お話をしながら最初に確認のために時計を見たときには30分が経っていて、次に見たときにはもう1時間、という感じの不思議な時間感覚の中を駆け抜けた気がします。

人前でお話する時、自分がどんな風に話すのか後で確認したいと思って録音機を持って行っていたのですが、始まる直前は緊張して録音のことはポーンと頭から飛んでしまっていました。

終わって気づいて、ああ、おしいことをしたなぁと思っていたのですが。

直接頼まずともD君という知り合いの方が録音も写真もバッチリ撮っていてくれるというではありませんか。

なんとありがたい。
また後日データをいただこうと思います。楽しみです。


昨日は60名ほどの方が足を運んでくださったそうなのですが、お話しながら、お一人お一人のお顔を拝見することができました。
どんな表情で、聞いてくださっているのか。

まぶたを閉じて、じっとしている方。

こちらに目を合わせて、頷いてくれる方。

大きく笑ってくださる方。

ちょうど良い距離だったからか、皆さんのお顔が本当によく見えました。

他の方の講演会に行った時、私は聴衆の席に座りながらお話している方は私のことなど全く見ていないだろうと思っていたのですが、どうやらそうとも限らないようです。


とにもかくにも、一つの新しい出来事を無事に終えてほっとしています。

講演の中でもお話したのですが、こんなこと、不登校だった経験がなければ得られない機会だろうなと思うと本当に不思議です。

子ども時代を不登校で過ごした人が少ないから、その経験を聞いてみたいと思って私の体験談を聞きにたくさんの方が集まってくださったわけで。
もし私が学校へ行っていたら、学校に行った経験をお話しますと言ってもそれは多くの人にとって普通のことなので特に聞きたい話にはならないのでしょう。

少数派というのはつまり、多くの人にとっての未知の世界なのですね。

でも私からすれば、学校へ行く行かないで言えば「行く」という方が未知の世界なのです。

それは私の「体験しなかった過去」です。

学校に行っていたら行っていたなりに、別の出会いや経験を経て別の人生をおくっていることでしょう。
だけどそれは想像することは出来るけれど、実際の感情と共に味わえる本物の人生にすることは出来ません。


一度に二つの道は歩けない。


今いる場所の現状や過去の出来事について語る時、それが自分だけのものだからこそ、誰かと分かち合う価値があるのかもしれません。

 


  末富晶