晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

花よ届け

 

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 大げさでなく、最近、花のことばかり考えています。

 

 

これから9月に新しく花の教室を開くつもりなのですが、

それに合わせておそらく私自身も進化の必要性があり、

色々考えたり見え方が変わったりと忙しい。

 

そんなことがあってもなくても、

私たちは心配せずとも本当は昨日までとはもう全く何もかも違う人間のはずで。

 

ただ変わる、と決めるだけでそのようになる。

 

変わった自分に合わせて、

見える景色も変わってくる。

 

 

自分をどの程度の人間にしておくかは、

厳しいようだけど、いつの時点でも自分自身の責任以外の何物でもないのでしょう。

 

 

「ここでいいよ、これも楽しいし」

 

で、留まれば、失敗もないし安心だけど。

 

もうそこに遊ぶのはやめて

次の世界に行くと決めたなら。

 

たよりとなる先人たちの置き火の明かりが、これまでの風景と重なって、あちこちにほのかに揺れるのが見えてくる。

 

私は、私のしようとしている花生けの会は、そんな置き火の一つだと思っているのです。

 

もう一つ先の世界への、道しるべ。

 

 

この時代に生きる人々と共に、探し、自らも灯し、歩んでいけますように。

 

そんなおもいを持って、この秋より始めます。

詳細はまた後日に。

 

 

 

   末富 晶

 

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ブレンダンとケルズの秘密

 

「ブレンダンとケルズの秘密」という、とても美しいアニメーション映画があります。

 

 

私がこの映画のことを知ったのは2〜3年くらい前でしょうか。

 

たまたま、ネットのどこかで見かけ、その映像と音楽にたちまち虜になりました。

 

一度だけ東京のどこかで上映されていたと知り、

知った時にはもう遅く、

見る事はできなくなっていて。

 

日本語字幕はその時一回きりで日本語版DVDもないと分かり、

 

わざわざアイルランドからCDとフランス語版のDVDを取り寄せて、何度も見た映画です。

(どうでもいいですが、DVDが入った茶色い紙袋が届いたとき、向きも何もお構いなしにあっちゃこっちゃ無造作にいっぱい切手が張ってあったのを見て「おお、海外から届いたな」と妙な実感が沸きました)

 

 

私が好きなものがいっぱい散りばめられたアニメでして、

日本語版はないし、紹介しても仕方がないけれど

自己満足に終わっても、いやこれはぜひ紹介したい。

 

フランス語できる人なら持ってるDVDを無理矢理にでも見せたい(いや嘘です)と思っていたのですが。

 

 

雰囲気だけでも味わってもらおうと思って、海外版の予告編をこのブログに載せるため、久しぶりに検索してみたところ…。

 

 

なんと、この夏に日本上映が決まっていました!(驚)

 

…ブログを始めて早一年以上ですが、初めて「大」フォントを使うほどの驚きです。

 

 

secretofkells.com

 

 

日本でも、それも各地で、劇場で、見れるらしいです。

 

上に張った公式ページのリンクから、予告編と内容が見れますので、興味を持たれた方はぜひ。

 

私もずっと小さなPC画面でのフランス語版しか見てないので、

複雑なフレーズになるとほぼ理解できず、

結構な部分を想像で補っていました。

 

はじめて日本語字幕で見れる…

きっと「えー、ここはこう言ってたのか」など色々と発見があることでしょう。

 

ああ、嬉しい。

 

 

こんなに勢い良く「良いよ」とおすすめしておりますが、もちろん「誰にでもそう」とは限らないとは思います。

 

私はちょっと特別、何かこのテーマと、アニメーションの雰囲気に合うものを持ち合わせている…と、自分でも感じるので、他の人にとってはそれほどでもないかもしれません。

 

 

アイルランドは昔から、私にとって、それほどよく知らないのに親しみのある懐かしい国です。

 

十代の頃からケルトの音楽が大好きで、

二十歳くらいの頃、お金をためて10日間ほどアイルランドに出かけました。

 

その頃何かと一緒に行動することが多かった兄と一緒に、二人旅。

 

最終的には最果ての島と言われるアラン諸島のイニシュモア島まで行き、

岩ばかりの遺跡の断崖絶壁に立ち、こんなところまで来てしまった…と思うと同時に、海に暮れ行く夕日に既視感を覚えたことを今でも強烈なイメージとして思い出すことが出来ます。

 

きっと私の魂と、何か深い関わりがある場所なのでしょう。

 

 

「ブレンダンとケルズの秘密」は、「ケルズの書」という9世紀に作られた見事な装飾の福音書をテーマにした映画なのですが

 

私はこの時の旅行の際、「ケルズの書」の本物も、ダブリンのトリニティ・カレッジ図書館にて幸運にも見ることができています。

 

その時のこともやはり記憶に色濃くのこっているのですが、

ダブリンを散策中、さて念願のトリニティ・カレッジ図書館へ…という時、兄が確か急に「体調悪いからホテルに戻る」と言い、

私は一人でも行くか、それとも兄と一緒にホテルに戻るか選択を迫られたのです。

 

なんせ一人で外国を歩く、ということはそれまで一度もしたことがなく。

 

英語を話せるわけでもなく。

 

それまでの私の常識からしたら、兄と一緒にホテルに帰る安全策を取る、、、ということになりそうだったのですが。

 

やはり、どうしても、なぜか、行きたかった。

 

大げさなようだけれど、その場所から呼ばれている気がしたのです。

 

えいやっと勇気を出して一人で行ったトリニティ・カレッジ図書館は、

「うわぁ」と声が出るほど圧倒的なすごい場所でした。

ファンタジー物語の世界に迷い込んだような空間…天井まである大きな本棚と、とてもじゃないけれど一生かかっても読み切れないだろうほどたくさんの古い本たち。高く添えられた木の梯子。

 

その中をぬけ、

ドキドキと見たケルズの書と古いハープ。

 

一人でここにいる自分を、なんだか不思議に思ったものです。

 

 

 「ブレンダンとケルズの秘密」は

あの記憶がよみがえる、この「ケルズの書」のお話とあって、

特別に感じ入ってしまうのかもしれない、というわけです。

 

 

「ケルズの書」はいったいどうやって作られたのか、

その制作技術や画材などについて

まだまだ謎が多いらしいのですが

 

「実は、こうして作ったんだよ」

 

という秘密が、この映画には描かれています。

 

ある人にとっては、おとぎ話だと笑って相手にされない内容かもしれませんが

 

私には、これは案外、真実に近いのかもしれないと思えるのです。

 

 

 

ブレンダンとケルズの秘密。

この夏上映の、嬉しいお知らせでした。

 

 

 

   末富 晶

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いけばな・アガパンサス

 

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<いけばな・アガパンサス ニシキギ アスパラ> 末富晶 2017年7月

 

長らくの迷走からようやく着地点を得たような昨日のお花。


このまま行きなさい、と言ってもらえたようでとても勇気をもらいました。

 

華材はアガパンサスニシキギ・アスパラ。

 

このお花の世界の奥行きの広さを、やはりもっといろんな方に知ってもらいたい。

そのためにできること、これからやっていきたいと思います。

 

 

 

見ているだけで涼しげな、そんな色合いのお花たち・・・。

 

こんな風な佇まいで、夏の間を過ごせれば良いなぁ。。。と、思いますが、さてどうなることでしょう。

 

 

だんだんと暑さが本格的にきびしくなってきました。

 

みなさんどうぞ、お身体ご自愛ください。

 

 

    末富 晶

 

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持仏堂のお掃除~蘆花浅水荘~

 

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昨日、台風後未だ雨やまぬ空もようの中、蘆花浅水荘~ろかせんすいそう~にてお庭の中に建つ持仏堂(記恩堂)のお掃除をさせていただきました。

 

蘆花浅水荘山元春挙画伯によって大正時代に建てられたお屋敷で、国の重要文化財に指定されている貴重な建物なのですが、前にも書かせていただいたとおり、ひょんなことからご縁がつながり現在関りを持たせていただいている場所です。

 

 

蘆花浅水荘について前回の記事はこちら>

seikuudayori.hatenablog.com

 

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蘆花浅水荘の広間からお庭を眺めた時、右手に見える藁ぶき屋根の建物が今回の主題である持仏堂。

 

春挙さんのご両親と、絵の師匠であった森寛斎氏が祭られているお堂です。

 

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お庭のまわりの回廊を通って、雨に濡れずに持仏堂まで行くことができます。

 

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扉の開けられた持仏堂。

 

管理されている現当主の山元さんのお話では、ここはずっと公開されておらず、お掃除するのももう何年ぶりか…とのことでした。

 

私も中の様子は気になりながらも、実際に扉を開けて入らせていただいたのは昨日がはじめて。

なるほど、ずっと使われていない様子の、

だけどもやはり、なんだかとっても魅力的な空間がそこにはありました。

 

 

着物の会の有志と一緒に、計6名での大掃除。 

 

 

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入口のふすまに貼ってある紙を興味津々に見てみたり。

(なにやら昔の文章と絵だけれどどんなことが書いてあるんだろう…膳所、という文字が見えた気がするのでこの辺りの土地に関することでしょうか)

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さすがに春挙さんはお堂のふすまの取っ手を蓮の形にしてらっしゃったのか、と感心したり。

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そんなこんな面白く過ごしているうちに、少しずつ埃はぬぐわれ、汚れはとれ、

ぼーっと薄暗かった空間に光が差し、

眠っていたお堂がきらきらと輝いて眠りからさめるがごとく、美しくなりました。

 

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掃除をすることは、ただ単に汚れをとる、ということだけにとどまらず

生きている「気」を循環させる、、ということなのかな、と前々から思ってはおりましたが、昨日はそれを実感する一日となりました。

 

まだ一度だけの掃除なので完全にきれいになったとは言い難いのだけど、それでも誰の目にも触れていない時と、明らかに畳も、壁も、天井も、置かれた物の何もかも、様子が違います。

 

一本ずつしっかりと見て生けたお花が、やはりくっきりと輪郭を持ち輝くように。

 

意識を向けられた場所は、一つ一つ浮かび上がるようにはっきりと見えてくる。

 

 

私たちが来たことを、もしかしたら喜んでくれているのかもしれない。

 

そんな風に思えるのです。

 

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持仏堂から眺めるお庭の小道も、しとしと雨にあたり美しい…。

 

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ここは仏様のおられるお堂ですが、

中には炉が切られていて、

裏はお水屋になっており、

 なんとお茶会ができるように設計されています。

 

「実に春挙らしい」

 

と、お孫さんにあたる山元さんが顔を綻ばせておっしゃっていましたが、

こんな場所は本当に珍しいのだろうなと、詳しくない私にも想像できるような気がします。

 

春挙さんは昭和8年の7月12日にお亡くなりになっていて、

ご命日に持仏堂を開けることができればいいなという思いからの今回の掃除でしたが

なんとか間に合うことができたでしょうか。

 

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蘆花浅水荘での私たちの活動は、まだまだはじまったばかり。

これからみなさんと一緒に、色んな素敵なことをここでしていけたらいいなぁと思っています。

 

またこのブログでも、過程をその都度お知らせしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

それでは今日も、どうぞよい一日をお過ごしください。

 

 

    末富 晶

 

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サプラーイズ

 

 

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昨日、待ち人来る、で

家のベルが鳴る音とともに訪れ人の声がしました。

 

 

ちょうどお昼の2時を数分ほど過ぎた時で、約束の時間にぴったり。

 

「はいはーい」

 

と、玄関の磨りガラスの先に明るい色の服を着た男性の姿が透けて見え、

何の疑いもなくガラリと開いてみたところ。

 

「サプラーイズ!」

 

と言って笑ったその訪れ人は京都在住の待ち人ではなく、カタール在住のKさんでした。

 

え。

え。

えええー!

 

思ってた顔と違うことにビックリ。

遠くに住んでいる人が(日本に一時的にかえってるのは知っていたけど)、こんなに気軽にふらりと立ち寄ってくれたのにもビックリ。

約束の時間に約束したのとは別の人が知ってたかのようなタイミングで来てくれたのにもビックリ。

 

 

まさに、サプライズ。

 

 

何がどうズレてこうなったのか。

 

宇宙は時々ちょっとした気まぐれのように、こういうことを起こしてくれます。

 

こんな時は、知らないうちに別世界の扉を開けたような気持ちがするもので。

あるはずだった一日の裏側、もう一つの世界に紛れ込んだような、不思議の国のアリスさながらな体験する日となりました。

 

椅子も冷たいミントティーも準備されていたのだけれど、

座って飲んだのは想定とは別の人。

 

…面白いなぁ。

 

 

Kさんが「これから軽い山登りに行く」というので、

全然そんなつもりはなかったのに急にプチ登山をすることになり、

梅雨のつかの間の晴れ間、泥濘んだ道を一緒にのぼりました。

 

途中から靴を脱いでのアーシング山歩きとなり、

山頂から街を一望する風景を前に、

その時はじめて会ったKさんの友人の方から

タイに住んでおられた時のお話を聞いたり、

他に誰もいない山頂の様子を珍しがったり、

清々しい風を感じたり、

下りながら鹿に遭遇してみんなではしゃいだりと

 

本当にもう思いがけない一日。

 

 

こういう驚きは、でも、実のところ大好きです。

 

 

心も身体も、いつも身軽にしておいて

こういうことが起きた時、相手と世界のタイミングにひらりとのって、一緒に踊れると大変楽しい。

 

もしかしたらそのために、普段から自分のリズムを大切にしたいと思ってるのかもしれないなぁ。

 

なんて思いました。

 

 

 

 サプラーイズ。

 

 

 

    末富晶

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柵を越えて

 

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小学校3年生から学校へ行かず不登校児となって、そのまま大人になった私ですが。

 

不登校児となってから後、自分のことを「柵から出たヒツジのようだ」と感じていた時期がありました。

 

「柵」は言うまでもなく学校のことで、

仲間もたくさんいる、安心安全な場所から一人飛び出てしまい、

あらかじめ用意された食べ物もなく、オオカミでいっぱいだと聞く外の世界へ

何の準備も後ろ盾もないまま、さまようことになってしまったので

それはもう大変なことをしてしまったと怖がって身を縮めていたのが初期の頃。

 

いいや、これこそが自由なのだ。

もう出てしまったのだから、自分はこの道を行くしかないのだ。

これが自分にとっては最良の道なのだ。

と、半ば開き直ったのがその少し後。

 

 

強がりと実践と試みを繰り返し、

 

怖くても一歩ずつ、進んできた道が今につながっている。

 

 

そして不思議なことに。

 

 

いつの時点でか、あの時あんなにはっきりしていた

「あちら」と「こちら」を隔てる「柵」が、実はどこにも存在していないと気づいたのです。

 

 

学校をやめた。

とか、

会社をやめた。

とか、

 

それによって、人生が大転換する重大な選択だと思われがちだけれど。

 

実際のところ、

学校をやめたから人生が変わるのではなくて、

学校をやめたから強制的に考え方、日々の思考を変化させざるを得ず、

そうして気づいたら人生の景色が変わっていた…という方が、本当なのではないか、と思えます。

 

 

より大事なのは、毎日の思考のパターンの方で。

 

それがパターン化されている。

いつもほとんど、同じことの繰り返しになっている。

 

それこそが「柵」の中にいる、という状態なのだと、気づくこと。

 

 

勝手に柵をつくって自分を閉じ込めていたのは、

実は自分自身なのかもしれない、と疑うこと。

 

 

「柵の中にいる自分」

を見る

「もう一人の自分」

のより広い視点を持てたとき、

 

柵はひとりでに消えてゆく、と感じます。

 

 

 不登校とか、そういうことは、

そうしたパターンを破るチャレンジの、単なる結果でしか、ない。

 

 

本当に大事なことは、いつでも見えない世界、

その人の内面で起こっている。

 

そんな風に思うのです。

 

 

 消えたと思った柵の先に、また新しい柵…

 

入れ籠のようにどこまでも、続いて行くけれど。

 

意思を持って、何度でも、それを越えていくこと。

そうした勇気が、本当の人生をつくっていくのかもしれない。

 

 

 

何かにへこたれる度、

そんなことを思い出しています。

 

 

 

   末富 晶

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ほこほこのじゃがいも

 

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ほこほこの土から手で掘ったじゃがいもを、ほこほこに蒸して食べる。

 

 

 

知り合いの方の畑を手伝って、いただいてきたじゃがいも。

 

蒸してバター、あるいはお塩でいただいたらさぞや美味しかろうと、掘っている時からずっと考えていたので、こうなることは運命なのでした。

 

知っている方が育てたじゃがいもを、知っている方がつくった器にのせて

 

ほこほこ湯気をたてている様子を見てはしみじみと、これ以上の幸せがあるかしら、と思うのです。

 

私は昔から、ちょっと変かもしれないけど、

ほこほこ湯気が出ている食べ物を、例えば食べ盛りの男の子なんかが程よく冷めるまで待てず、ハフハフ言いながら食べてたりする様子を見ると、なぜだかわけもなく感動してうっかり涙が出そうになったりすることがあります。

 

食べる。

 

ってやっぱり、命に直結しているから。

 

ああ、生きてるなぁ。

 

という感じがして、それが嬉しいのかもしれません。

(でも実のところ感動の理由は自分でもよく分かりません)

 

 

私の母は私たち兄弟が小さい頃から食の安全に気を使ってくれていて、

当時としては珍しく、40年ほど前にはすでに住んでいた団地の中でグループを作り、無農薬野菜を定期的に分け合ったりしていたようです。

 

そんな環境で育ったからか、

ほんの小さな頃の私は好きな食べ物を聞かれ

 

「にんじん葉の天ぷら」

 

と答えて周囲の大人を驚かせていたのだとか。

 

 

 おかげさまで野菜好きに育ちました。

 

 

そんなこんな言っているうちに、夏至も過ぎ、もう6月も下旬ですね。

 

今年ももう、半分終わったのか。。。

 

 

あっという間…いえいえ、なかなかに濃い6ヶ月でありました。

 

 

 

引き続き、いろんな体験をしつつ、まいりましょう。

 

 

みなさんどうぞ、今日もよい一日をお過ごしください。

 

 

 

    末富 晶

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