晴空便り

造形詩家・末富晶の晴れた空へつながるブログ

からたちも秋はみのるよ

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現代文人生けの会場にさせていただいている蘆花浅水荘

 

 

お庭の奥に、大きなからたちの木があります。

 

これがあの童謡に歌われている「からたち」なのだと、

ここへ来て、はじめて知りました。

 

「まろいまろい実」は、思っていたよりも大きかったです。

 

それともこの木が長い年月を経て成長して、

それとともに、実も大きくなったのかな。

他のからたちを知らないので、比べようがありませんが…。

 

柑橘系のよい香りがして、いかにも食べられそうなのだけど

残念ながら、渋み苦みがきつくて食用には適さないのだとか。

 

< からたちも秋はみのるよ >

 

とのことで、中秋の名月の夜も過ぎ、もうすっかり秋なのです。

 

 

数日前、

ふいにメールがポーンと届いて、

その日に会っていたあの方かな、と思いながら何気なく開くなり

 

とびこんできた

 

「ひさしぶり」

 

の文字。

 

 

久しぶりも久しぶり、おそらく5年位ぶりのメールで

よく考えると最後に会ったのはもう7〜8年は前になるかな、

という昔の仲間の一人からでした。

 

ここを読んでいるかどうかは知らない(十中八九読んでいないと思う)けれど、

とってもいいタイミングで届きましたよ、ありがとう。

 

何の前ぶりもない、こういうふいの知らせが

ひょっとして送り先を間違えてやしないかしら、と思えるくらいの気楽さで

各地そこここに散らばって暮らすこうした仲間の誰かから

まるで昨日の話の続きのように送られてくることは

実は、私の人生の中ではたまに起こることで。

 

メールを開ける一瞬前には全く予測していなかったことが

パッと飛び込んでくる驚きと嬉しさは

何度味わっても良いものだなぁと思えます。

 

 

5年ぶりでも

10年ぶりでも

変わらず、「あの時」が続いて行く

 

頻繁に出会って実際に色んな行動を一緒にする人たちとは別に、

もう一つの流れを別々に歩いていて

それでも要所要所でこんな風にふと集まる関係もある。

 

会ってしまえばそれはいつでも「昨日の続き」なのです。

 

 

私たちの時間感覚は、

本当は人との関係の数だけ別々にあるものなのかもしれない。

 

 

その人としか持ち得ない時間

 

というのが、誰の間にでもあるのですね。

 

 

それは、

その人との間でしか呼び覚まされない自分、とも言えるのかもしれません。

 

 

 

夕方になって、また涼しい風がふいてきました。

 

今日は月は見えるのかな。

 

 

みなさんどうぞ各々に

よい秋の時間をお過ごしください。

 

 

 

   末富 晶

 

 

「からたちの花」

ひさしぶりにききました。

 

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現代文人生けの日

 

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本日、記念すべき蘆花浅水荘での第一回現代文人生けの会。

おかげさまで無事に開催することができました。

 

 

華器を並べながら、そろえたお花を見ながら、

あらためて、こんな場所でゆっくりお花を生けることができるって

なんて贅沢なんだろう…という気持ち。

 

 

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文章を書くことは好きだけれど、

こればかりは文字で伝えることは出来ないと感じるものが

この場所にはいっぱい。

そしてもちろん、

「お花を生ける」ことの中にもいっぱい。

 

書くのが好きなのに、

おかしいけれど、

なぜか「文字で伝えられないことがある」ということがとても嬉しい。

 

自分たちの出来ることを

こうして直接出会って伝え合う、というのは

ふれあいや話し合いとはまた別の

人間同士の大切なコミュニケーションの形の一つなのだと思えます。

 

 

場所は文句なしに素晴らしいし、

集まってくださった方々も本当に素敵だし、

お花も生けたいし、で

時間があっという間すぎてまだまだやりたい気持ちだったけれど

 

ここからスタート。 

で、また色んな風に広がっていくといいなぁと思います。

 

 

ぽちゃんと落とした石が生む、

水の波紋のように…。

 

 

 

 

 

現代文人生けの会、次回はさてどんな雰囲気になるでしょうか。

 

第二回目も開催する予定です。

詳細はまた決まり次第ブログなどでお知らせさせていただきますね。

 

 

ひとまず今日は、ゆるりとよい夢を。

 

 

    末富 晶

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秋の開花期

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<いけばな・ピンクッション・ハラン> 末富晶  2017年9月

 

 

 

台風が去り、また静かな空模様。

 

昔からよく人々は心模様を空模様に例えてきたけれど、

なるほど、然り、と、

毎瞬ごと形を変える自分の心の内を眺めていると大きく頷けます。

 

「悩み」とか

「苦しみ」とか

「悲しみ」とか

 

凡そ「ネガティブ」とひとくくりで言われる感情は、

だいたいにして良いようには思われていないもので、

 

そうしたものを感じているときによくよく自分を観察してみると

だいたい何だか内側に向かってキューっと締め付けられているような、

辺りの風景ごと身体がちっちゃくちっちゃくなっていくような、

視界も狭くなっていくような

とにかく中へ中へ内へ内へと固まろうとする力を感じ、

アリ地獄に落ちまいとでもするような、それに抵抗する力があって

そのやり取りを頑張るから、ネガティブの内にいることは大変なのかもしれない、とも思えます。

 

「楽しい」とか

「嬉しい」とか

「ありがたい」とか

 

凡そ「ポジティブ」とくくられる感情はその逆で

 

外へ外へと広がって、

なんだかパーっと弾けて空も飛べそうなくらい彼方へと軽々行ける感覚がしたりもする。

 

その勢いに乗って色んなことが出来るのは、もちろん素直に考えて「とってもいいこと」であるのだろうけれど。

 

正直な所最近は、「ネガティブ」が悪いとか「ポジティブ」が良いとかいう風にはもう感じられなくなってきている感覚があります。

 

ネガティブの内へ内へと向かう力は、一見苦しいけれど、

この大地にまだしっかり自分で立ててもないうちに、自分の位置を見つけてもいないうちに、

ぱーっとお空まで行ってしまうよりは

苦しみながらあり地獄に向かっていって、その中へあえて進む方が、本当の「自己の探求」となる…という可能性もある。

 

穴に落ちてもがいていると思っていたら、奥へ奥へとのみこまれ、ぱっとぬけたその先は青空だった…ということも、あるのかもしれない。

 

外へ外へと向かう力と

内へ内へと向かう力は

きっと同じものなのだ。

 

「私」が「私」のことさえ、見失わなければ。

 

そんな風に、感じています。

 

大きな飛躍の前には屈伸が必要で、そのためにぐっと身を屈める時もあるし。

空を飛んでいるうちに傲慢になり、自分の位置を完全に間違えることもある。

 

さて、今「私」はどこにいるのか。

 

その問いかけが、実は一番大事なのかもしれません。

 

 

なんだなんだ秋の開花期かしらと思えるほど、色んなことが一気に花開こうとしていることを感じている今日この頃。

 

自分に言い聞かせるつもりで、書いております。

 

ネガティブもポジティブも引き連れて、

また一つ、次の扉を開けてみます。

 

 

    末富晶

 

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カタログの外の世界へ<蘆花浅水荘~案内係見習い~>

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  今月27日に開催する蘆花浅水荘での現代文人生けの会の際、出来れば自分で屋敷内を案内したいという思いから、

「研修中」という札を首から下げている気持ちで、この間実際の見学に訪れた方のご案内に後ろからついて行き、色々と勉強をさせていただきました。

 

< 現代文人生けの会についてはこちら↓の記事へどうぞ

9月27日(水)” 現代文人生け ”を始めます - 晴空便り >

 

 

もちろんこれまでも案内について回ったことは何度かあり、そもそも初めて訪れた際には当然のごとく自分自身が見学者で、現当主の山元さんに各部屋ごとに丁寧にご説明いただいたのですが。

自分でもご案内できるように、、、と、背筋を伸ばした状態で聞くと、色々と今までに見えなかった発見があります。

 

それにしても改めて、本当にこの山元春挙氏の別邸・蘆花浅水荘は素晴らしい場所です。

 

重要文化財となっている建物で、古いものはとてもたくさんあるけれど、実は100年ほどの年月しか経っていないにもかかわらず登録されているものはそれほど多くないのです」

と、その日の案内の中でのお話にありましたが、それはつまりこの蘆花浅水荘はただ古くて大きいだけの建物ではない、ということになるでしょう。

 

部屋の一つ一つ、引手の一つ一つ、床も、柱も、ふすまも、天井も、なにもかも…

 

どこを見ても、何を指さしても、「あ、これはね…」と話につながる。

私にはまだまだとてもその全ての経緯を覚えることはできていませんが、一つ一つの姿の存在感から、そのものたちが未だに当時の何かをひきつれて今ここに「生きている」気配を感じるのです。

 

もちろん色々と特殊な環境に身を置いている人にしかできないことで、その頃としても、珍しいことだったのかもしれませんが、 

現代のこの国に、こんな風に家を建てることの出来る人が一体どれくらいいるのだろう。

 

思わず、そんな風に思いを馳せてしまいます。

 

どの部屋も、部屋からの景色としての庭も、障子の桟の組まれ方一つをとっても、

ここではすべて、春挙さんの作品なのだと言えます。

 

他のどこにもない、同じものは二つとないものばかり。

それだけに魂がこもり、言葉で言いようのない雰囲気をその場にとどめていると感じられるのです。

 

カタログの中から、好きなものを選んで。

自分の好きなものを組み合わせて作った環境を、どれだけ個性的に彩ったとしても。

こんな風に一人の人間の命から生み出された物の持つ魅力には、どうしたってかなわない。

それどころか、実は同じ土俵に上がることさえできないのではないかと思えます。

 

少し前まで、

「どれだけカタログの中から自由に自分の好きなものを選べるか」

「どれだけ多くの選択肢を持ち、選んだ品々で自分の人生を「豊か」に彩るか」が重要で、

 

「たくさん選べる人ほど、幸せになれる」

 

そんな考えが多数派をしめる時代だったような気がします。

 

そのために、より選べる「選択肢」を増やすことがいいことだという風潮があり、

選択肢を増やせる条件として、お金や肩書やその他いろいろなステータスが絶対的に必要とされていたのではないでしょうか。

 

 そこからいくと私の通ってきた道である不登校児など、だからとっても最悪で、

「人生の序盤からいきなり選択肢を0にする」

ような行動だと思われていたのだろうなと今なら納得できます。

 

確かに、その中では学校に行かなくなってしまえばその後の道は絶たれたように見えるのです。

 

でももしも、どんな学校に行きたいか、どんな会社に行きたいか、どんな人と結婚したいかと、そんな風に「選ぶ」だけが人生ではないのなら。

それだけが、世界ではないのなら。

 

私たちはその選択肢を、選ぶだけでなく、つくり出すこともできる。

 

 

山元春挙氏が命を灯し、十年がかりで「蘆花浅水荘」の全貌をつくり上げたように。

 

 

少しずつでも、人生の舵を「つくり出す」方向に変えていけたなら。

行き詰り混迷を深めると言われる現代社会の中で、ともすれば道しるべの灯りをそれぞれの胸にともすことができるのではないか。

 

 

そんな淡い希望を、抱きもするのです。

 

 

…さて、どうしてこうなったのか。

ずいぶん話がそれました。

 

ともかくこの素晴らしい建物を前に、

「昔はよかったね」

云々と他人事のように言っている場合でないことは確かです。

 

今に生きる私たちへのメッセージと受け取って、

ありがたくもご縁のあったこの場所で、文人生けの会をさせていただきます。

 

よい日になるよう、あれこれと。

準備をすすめていきますね。

 

 

    末富晶

 

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「はやい」と「おそい」

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今朝は朝から雨がしとしと降っていて、

夏だということを忘れるくらい、なんだかとっても涼しいです。

 

久しぶりにゆっくり座って、書く事を決めぬままにこうしてブログを書いています。

 

このところもまた、色々なことが起こり。

いつものように喜んだり驚いたり時には考え込んだりの日々ですが、

自分の日常のリズムが、前とは何か違っていること、

起こることや見えることも、また違っていること、を少しずつ感じています。

 

リズムやテンポというものは「速い」と「遅い」の間のどの点かに収まるものだと思っていたけれど

例えば速くなって、速くなって、もっと速くなって、もうこれ以上は無理となった時、

ふとそれを「遅く」感じるようになる場所がある、という気がします。

 

遅く感じるようになった場所は、多分その次の段階の一番遅い点で。

おそらく気づかぬうちにもう、別の世界にワープしていて。

だから、一番速いのは、実は一番遅い場所でもある。

 

ずっと同じ世界の、同じルールでいくと思うから、人はきっと何年も先のことについて思い悩んだりできるのだろうけれど。

本当は、明日にでも、もう同じ世界にいるとは限らない。。。という生き方もある。

 

出口と思ったらまた入り口。

 

そんなことを繰り返し、入れ籠の中へ中へと進むように、もしくは螺旋階段を下へ下へと下り、上へ上へと上るように。

そんなふうに、みんな人生の旅をそれぞれのリズムで歩んでいるのかもしれない。

 

行くのが上でも下でも中でも外でも東西南北どこでも、

そんなことは実はあまり関係なくて。

 

生きていることはそれそのものでダンスを踊るようなものだから、

起きてきた出来事に、どんなステップを踏むか、どんなリズムでそれを受け取るかあるいはかわすか。

そんなあれこれを楽しめるようになった時、きっと人生の達人になる。

 

昔、山田洋次監督の「十五才学校4」という映画の制作に関わった時、

私は不登校の子が書いた自身の心の内として当時の自分の詩を提供したけれど

 

 

ほとんどの奴がバスに乗っても

ぼくだけは歩いてつっききるんだ

早く着くことなんて目的じゃないんだ

雲より遅くて十分さ

小鳥の小さな呟きを聞き逃したくないんだ

 

 

ここでも、「はやい」と「おそい」が知らない間に重要なこととして上げられているなぁと今更ながら思うのです。

 

これは、よく言われるように、そしてきっと当時の私自身もそう考えていたように

「ゆっくりのんびり行こうよ」

というメッセージなのではなくて。

 

「遅い」が「遅い」とは限らない、

ということを言っているのかもしれない。

 

 

自分のリズムを持つ人が、

そしてそれを

世界と照らし合わせながら常に変化させていける人が、

 

きっと軽やかなステップで自らの人生を踊ることができる。

 

 

流されずに。

 

留まらずに。

 

 はやいとおそい、の間を縫って。

 

 

 

亡くなった人たちがかえってくると言われるお盆の時期に、

ふと、そんなことを考える朝です。

 

 

    末富晶

 

 

 

○9月27日(水)

蘆花浅水荘にて現代文人生けの会を開催します。詳しくはこちらの記事へ↓

9月27日(水)” 現代文人生け ”を始めます - 晴空便り

 

 

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9月27日(水)” 現代文人生け ”を始めます

 

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あっという間にもう8月。

 

なんだかこういう書き出しをほぼ毎月くらいしている気がする…。

月日が飛ぶように過ぎている感覚は確かにあって、

でもよく考えたら今年になってから決まったこと、出会った人も驚くほどたくさんあって。

 

濃いような、早いような、時間の感覚があいかわらず不思議な感じです。

 

「現代文人生け」の会を、蘆花浅水荘にて9月27日(水)に開かせていただくことに決まりました。

 

重要文化財の素晴らしい建物の雰囲気に浸りながら、江戸時代から明治にかけて文化人に親しまれた型のない生け花「文人生け」を現代風に再現しよう、という試みの会です。

蘆花浅水荘についての過去記事はこちら ↓

 

” 着物の会 ” 蘆花浅水荘 - 晴空便り

 

持仏堂のお掃除~蘆花浅水荘~ - 晴空便り

 

 

型のない生け花。

 

というと、決まりはなく、自由に生けてよい、ということになりますが。

 

きっと何においても同じなのだと思いますが、

自由ということほど、難しいものも、他にない。

 

何度もここに書いているように、10才にして不登校児になり、

学校の外に出て毎日自由にやりたいことをして行きたい場所に行く生活をはじめた私ですが

その自由が自分にとって意義あるものとなるまでには多くの時と経験を必要としました。

 

自由であることはとても大切なことだけれど、

自由を扱いきれるまでの自分となるためにはそれなりの心構えがいるかもしれません。

 

私はその多くを、実は、きっと、お花から学びました。

 

自由に生けたお花が、ぐちゃぐちゃにならず、調和を生むためにどんなことが必要で、どんなことが不要なのか。

 

調和のとれたお花が、それ全体でどんなに、美しいものか。

 

「美しさ」が世界に与える決して無視できない大きな力を、今でもとても大切に感じているのです。

 

…日程をお知らせしようとしただけのつもりが、なぜだかここまで書いてしまいました。

ただ「楽しいので来てください」と言うにはちょっと本気すぎるのですが、本当の気持ちなので致し方ありません。

 

参加される方お一人お一人が、実際に自由に植物を生けながら、どんなことを感じてくださるか。

どんな集まりになっていくか。

今からとても楽しみです。

 

9月27日(水) 午後2時から

場所  記恩寺・蘆花浅水荘

    (蘆花浅水荘ホームページ)

参加費 3500円(蘆花浅水荘 拝観料金込み)

持ち物 花ばさみ・お好きな植物

 

 

縁ある人に、一人ずつ加わってもらいたい、という気持ちでいます。

 

行ってみたいなぁと思われた方は、どうぞホームページのメールフォームかフェイスブックのメッセージよりご連絡いただければ嬉しいです。

(晴空便りホームページ:メールフォーム)

 

 

 

毎日暑い日が続きますが、どうぞよい夏をお過ごしください。

 

 

   末富 晶

 

 

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花よ届け

 

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 大げさでなく、最近、花のことばかり考えています。

 

 

これから9月に新しく花の教室を開くつもりなのですが、

それに合わせておそらく私自身も進化の必要性があり、

色々考えたり見え方が変わったりと忙しい。

 

そんなことがあってもなくても、

私たちは心配せずとも本当は昨日までとはもう全く何もかも違う人間のはずで。

 

ただ変わる、と決めるだけでそのようになる。

 

変わった自分に合わせて、

見える景色も変わってくる。

 

 

自分をどの程度の人間にしておくかは、

厳しいようだけど、いつの時点でも自分自身の責任以外の何物でもないのでしょう。

 

 

「ここでいいよ、これも楽しいし」

 

で、留まれば、失敗もないし安心だけど。

 

もうそこに遊ぶのはやめて

次の世界に行くと決めたなら。

 

たよりとなる先人たちの置き火の明かりが、これまでの風景と重なって、あちこちにほのかに揺れるのが見えてくる。

 

私は、私のしようとしている花生けの会は、そんな置き火の一つだと思っているのです。

 

もう一つ先の世界への、道しるべ。

 

 

この時代に生きる人々と共に、探し、自らも灯し、歩んでいけますように。

 

そんなおもいを持って、この秋より始めます。

詳細はまた後日に。

 

 

 

   末富 晶

 

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