晴空便り

エッセイスト・生け花アーティスト・末富晶の晴れた空へつながるブログ

しばらくぶりの、晴空便り

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 <生け花 ”エルムレス・アレカヤシ・アセビ” 末富晶>

 

 

雨のしとしと、降る日が続きます。

 

 

前回の晴空便りから数えて、早くも一か月以上の時が経ちました。

 

その間にちょっと調子をくずして家にいる日も何日かあったのですが、

動けない日々の中では、

雨の音はことさら響いて聞こえる気がします。

 

 

世界はバランスで成り立っているから、

 

動く日があれば、

動かない日もあり。

 

それは至極、当たり前のことなのだけど。

 

一日中家にいたり、

例えば風邪をひいて布団から出れなかったりしたら

 

なんとなく、ただ無為な一日を過ごしてしまったような。

もっといろいろ出来たはずなのに、と思うような気持ちにもなってしまう。

 

 

木が上へ上へと伸びるためには、

根を下へ下へと張る準備が必要で。

 

その二つは、実は二つで一つなのだと。

 

これまでの体験で十二分に教えてもらっているはずだけど。

 

まだどこかで、

「動く」ことは良いことで、

「動けない」ことはあまりよくない…というような価値観も残っているようです。

 

 

冬の、雪で覆われた真っ白の景色の中に、

 

春の花のいろどりや、

 

夏の緑や蝉の声、

 

望めば秋の月も思い起こせるように。

 

目の前の風景の中に、およそ思いつくかぎりのどんな光景も重ねることができる私たちだから。

 

静かに過ごす日々の中に、

動き、育つものの密かな息吹もきっと感じられる。

 

 

雨の激しい日は家にいて、

「静」の中の「動」を、感じ取れたらいいなと。

 

 

そんな風に思いながら、

 窓の外を眺めています。

 

 

 

梅雨があければ、夏はもうすぐそこですね。

 

 

 

みなさんどうぞ、

よい日々をお過ごしください。

 

 

 

 末富晶 -Sho SUETOMI-

 

 

 


著書「不登校でも大丈夫」(岩波ジュニア新書)発売中です

www.iwanami.co.jp

 

 

 

メッセージ・お問い合わせはこちらのホームページよりお送りください

seikuudayori.wixsite.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月2日(日)安楽寺・くさの地蔵縁日におります

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不登校でも大丈夫・末富晶・岩波ジュニア新書>

 

 

 

昨日、友人からの問い合わせがあった流れでアマゾンを確認すると、

不登校でも大丈夫」のページになぜか<ベストセラー>とあり、

岩波ジュニア新書のカテゴリ内でランキングに王冠マークとともにのっていて

 

頭の中に大きな「?」が浮かんだのですが…。

 

一体何があったのか。

 

その理由が、数時間後に母からの電話で知れました。

 

どうやら朝日新聞の朝刊で「不登校でも大丈夫」を紹介していただいていたらしいと…。

 

慌ててコンビニに行って、最後ぎりぎり残っていた一部を購入してかえってきて、

その記事を拝読しました。

 

”「学校が唯一」の呪縛を解く”と題された、ノンフィクション作家の稲泉連さんが書かれた文章で、他の数冊とともに、確かに私の書いた本も紹介してくださっていました。

 

予想だにしないことが色々起こる人生だけれど、

これもまた突然の、思いがけない出来事。

きっとこの記事を読んで本を読んでみたいと思ってくださった方がたくさんおられたのかなと思うと、なんとも言えずありがたい気持ちです。

 

 

 

来る6月2日(日)、

京都の哲学の道近くにある「安楽寺」さんの「くさの地蔵縁日」にて

ご紹介いただいた本「不登校でも大丈夫」の販売をさせていただきます。

 

お花と花器を準備して、その場でご興味のある方には晴空便りの生け花体験もしていただけたらなと思っています。

特に何をするとかまえなくとも、ただ座っているだけで心地よい風を感じられるような素敵な場所なので

ただお話したいな、なんとなく行ってみたいな、というだけでも、もちろんどうぞそのままにお越しください。お待ちしています。

 

<詳細>

安楽寺のHP
http://anrakuji-kyoto.com/


くさの地蔵縁日のFB
https://www.facebook.com/anrakujizou/?ref=bookmarks

 

☆日時 6月2日(日曜日)
    9時30 開門   16時30 閉門
☆入山料 500円
*15歳未満の方は無料です。

 

 

 

お知らせの晴空便りでした。

 

 

 末富晶 -Sho SUETOMI-

 

 

 


著書「不登校でも大丈夫」(岩波ジュニア新書)発売中です

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新緑の季節に枝を伸ばして

 

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 <生け花 ”イヌコリヤナギリアトリス・レモンリーフ” 末富晶>

 

 

薄紅色の季節も過ぎ、

新緑の五月。

 

今年は去年の台風でたくさん木が倒れた影響か、

遠目にも山に新芽の明るい色が目立つような気がします。

 

命は存在を脅かされるほどの危機を感じると

かえってその生命力の勢いを増すことがあるけれど

 

根こそぎ倒された大木の横で、

途中で折れた枝からそれでも新芽を芽吹かせている木があるのを見ると

どうしても人間的な感性と重ねて

美しく貴く感じてしまいます。

 

 

最近、ありがたいことに生け花の仕事をさせていただく機会が増え、

ほとんどいつも、植物に触れている生活となっているのですが。

 

大きな生け込みの仕事の手伝いなど、

一日がかりで体力を使った後でも、

身体の疲れはもちろんあっても、ただ「疲れた」というだけではなく

むしろ朝よりも元気になっている部分を自分の中に見つけることが多いのです。

 

生け花は創作に関わる仕事と言えるから、

何かを創りあげる、その過程に関われることや、

完成したものを目にできる充実感がそうさせているのだと言うことも出来ますが。

 

個人的には、植物から何かを与えてもらっているのでは…という感覚に、確信に近いものを持っています。

 

重い水や枝をたくさん運んで、身体は間違いなく疲れているのに、

心はとても「さわやか」なのです。

 

お花を生けることで、植物と何かしらの交流ができているのだとしたら。

私が植物たちと触れることで元気になれるように、

私もまた、関わることで植物を元気にできるような人であれたらいい。

 

そんな風に、思います。

 

 

本を出させていただいたことで、

いつの間にか「不登校」といえば私、というように

学校に行っていなかった過去は、私と他の人を結んでくれるきっかけにもなってくれているけれど。

 

そのやり取りの中で、

 

今の社会はあまりにも

人間同士の関係性のみに大きく重点を置きすぎているのかもしれない。

 

そんな風に感じることもあります。 

 

 

人間社会で生きていくのが大変だと感じる時、

 

その同じ場所にはつねに、植物や動物たちの世界も重なって存在している。

 

 

ただ静かに座って、

植物の声に耳をかたむける。

 

 

そんな時間を大切にすることで

かえって社会との関わりへとつながりやすくなる。

 

遠回りに見えて、

実は全くそうではない。

 

そんなことも、あるのかもしれません。

 

 

 

 

色々あるけれど、

自分自身もまた、日を浴び、水やり、世話をして。

 

大樹のように、育っていけますように。

 

 

みなさんどうぞ、

よい初夏の季節をお過ごしください。

 

 

 

 末富晶 -Sho SUETOMI-



著書「不登校でも大丈夫」(岩波ジュニア新書)発売中です

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春の水やり

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春の陽気を感じる日々となりました。

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

 

この晴空便りのブログは、

元々どなたかへのお手紙を書くような気持ちで綴ってみようと始めていて、

 

風船のひもに結んで飛ばすように、

ふわふわと風にゆられた後、

誰かのもとにたどり着いたらいいな…という思いでいつも書いているのですが

その「誰か」がどんな方なのか、全く宛てはないので 

時折、晴空便りのホームページからメッセージを送ってくださる方がおられると、

その時にはじめて、

ああ、宛てもなく漂っていたあの手紙が届いたのだな、と知ることができ、

とても嬉しい気持ちになります。

 

メッセージをくださった方、

本当に、ありがとうございます。

 

 

さて、春分も過ぎ、みなさんの生活の中でも、

日々つづいていること、変わっていること、

いろいろあるかと思いますが

 

私もまた、思いもかけない新しい展開もめぐってきていて、

楽しいやら勉強が必要やらで、何やらわたわたしております。

 

ほんの少し前、、、この前にブログを書いた、一か月ほど前までは

まだそんな兆しはさっぱり現れておらず、

冬の日々から本当に春に変わっていくのかしら、と疑うような気持ちだった気がするのですが

 

なんのなんの、知らない間に季節はめぐり、

準備のととのった木々は、ちゃんと花咲く時を迎えるようになっているのですね。

 

自分の生活、暮らしと呼ばれるものは、

どんなことに日々、多く意識を向けているかでその内容が変わってくるものなのだろうと思いますが。

 

自分の世界の中での自らの意識とは、そういう意味では

植物にとっての、水のようなものなのかもしれないと感じます。

 

どんなことに意識をかけるかで、どんな花が咲くかが決まってくるとすれば、

どんな種に水をやるのかということが、

日常の延長上でほとんど無意識にしていることの多い、その選択こそが、

本当はかなり、重要なことで。

 

今、この瞬間、いったい何の種に水を与えているのか。

 

あらゆる瞬間で、ふと立ち止まってそう考えてみることは、

きっといつの時にもその人自身の助けとなるのでしょう。

 

自分が水をやっている種がどういった種類のものなのかを知っている人には、

おそらく冬の間にも、やがて訪れるその人の花の景色が見えていて

 

たとえ動かぬ日々が続いていても、

大きな安心感とともに、春を待てるのかもしれません。

 

 

さきほどまで、

過去に生きた偉大な日本画家たちの人生を綴った本を読んでいたのですが

さらりと短いページ数でまとめられたその一生のほんの断片の、

それでもなお、そこからつたわってくる生きた命の気配に心動かされ、

 何度も何度も、うなっていました。

 

昔の人はすごかった。

 

という思いにかられるのですが、

 

今生きている人たちも、

おそらく本質的に持っている人間としての力は

そうは変わらないはずで。

 

私が見えていない場所にも、今現在もすごい人は生きておられるのだろうし、

外ばかり見ていないで、自分の中にもその種子を見つけることができれば、

絶えず水やることにつとめてあれれば、

すごい人がいたものだな、と他人事として呑気に言っている間は

実はないのかもしれません。

 

 

最近よく感じることに、

果たして本当に時間は有限なのだろうか、という思いがあります。

 

よく、命には限りがあり、

人生は短く、

あっという間に終わるのだから、

だからこそ、今を大事に生きよう…ということが言われていると思うのですが。

 

 

 

世の中はつねに、矛盾に満ち溢れているから、

もしかするとその全く反対のことも同時に、真実ということがあるかもしれない。

 

もしも、時間に限りがなく、

 命というものは永遠なのだとしたら。

 

そうした思いで目の前を眺めてみると、

とても不思議なのですが、

「命と時間に限りがある」と思って見るのと同じか、もしかしたらそれ以上に、

くっきりと輪郭を持った風景が浮かび上がってくる感覚がするのです。

 

無限の中の命ならば、なおのこと、

今この時を、大切に思うような。

 

うまく言葉にできませんが、そんな気持ちになり、

有限の時間と、無限の時間と、

その両方から、世界を見ていくことが

目の前の景色を、より深いものにしていくのかもしれない。

 

そんな予感がしてきます。

 

 

 

だんだんと、あちこちで、

 

さくらさく。

 

その風景を、楽しみに。

 

 

みなさまどうぞそれぞれに、

良い春の日々をお過ごしください。

 

 

  末富晶 -Sho SUETOMI-

 

 

 

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一番最初の記憶

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<晴空便り生け花 ”ガーベラ・雪柳・レモンリーフ” 末富晶>

 

 

この世に生まれてからの、

思い出せるかぎりの、いちばん古い記憶について、

今朝、考えていました。

 

私にとってのそれは、

たぶん2才くらいか、もしかしたらそれよりもう少し前の小さな頃。

 

朝、祖母におんぶ紐で背負われて、

家の前から、仕事に出かける祖父と父の背中を見送ったこと。

 

道のとちゅうで二人が振り返り、こちらに笑顔で手を振ったこと。

 

 

そういう記憶があるのですが。

 

それは本当にあったこと?

夢だった可能性は?

 

と問われれば、どうだろう…と急に自信がなくなるほどに、

前後の記憶のぷっつり途絶えた、そこだけの曖昧なワンシーンで。

 

 

けれども多くの人にとって「一番最初の記憶」とは、

そうしたものなのかもしれない、とも思えます。

 

「一番最初」どころか、記憶と呼ばれるもののほぼ全てにおいて、

 

それが夢だったのか、それとも本当にあったことなのか、

 

年月を多く重ねるごとに、だんだんと判断が難しくなってくる。

 

 

自分が持っている、「人生の中の大事なワンシーン」で、もう何度となく脳内再生した映像は多々あるけれど。

 

そのシーンを共有した友人と会えば、

「あの時ああだったよね」

と懐かしむこともできるけれど。

 

その際に再生されている映像そのものや、色や形や匂いのこまごまに至っては、

つきつめて照らし合わずともきっと、友人と私とで全く同じということはあり得ないだろうことは明らかだし、

 

ましてや一人きりの場所であったこと。

もうこの世のものではない人との思い出。

言葉を持たない動植物たちとの分かち合いなどは、後からそれを「本当にあったよね」と確認し合うすべももはやなく、

そしたらそれはもう、その自分一人きりで現実だと思っている過去は、夜に見た夢と一体どこが違うのだろう、と思えるほどに掴みどころのないものだと感じます。

 

その繊細で、曖昧で、「現実」と呼ばれるものから見れば恐ろしいほどに不安定なものこそが、

本当はいつもの暮らしの中で、つねに私によりそって、記憶を積み重ねてくれている。

 

「一番最初の記憶」について思い出してみたり、

その記憶が生まれた当時の自分の感覚を思い出そうとしてみたりすることは、

いつもの日常に隠れて見えなくなっている、現実のもう一つの側面、

「起きてみている夢」のような世界の存在を知らせてくれる気がします。

 

 

身近なあの方この方の、「一番最初の記憶」について

聞いてみれたら、きっと面白いかもしれない。

 

 

そんなことを思った今日でした。

 

 

 春のはじまりの季節。

 

だんだんと日差しも暖かくなってきましたね。

 

 

みなさまどうぞそれぞれに、

素敵な日々をお過ごしください。

 

 

 

  末富晶 -Sho SUETOMI-

 

 


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晴空便りの生け花~京都・安楽寺「くさの地蔵縁日」にて

 

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冬の終わりの、晴空便り。

 

立春

 

季節はめぐりめぐる。

 

 

昨日は久しぶりに、生け花体験の場を開かせていただきました。

 

それも、京都・安楽寺さんという素晴らしい場所の書院で。

 

 

毎月2日に安楽寺さんで開かれている「くさの地蔵縁日」内で、

お花を生けさせていただいて、

おとずれた方にも、お花を生けていただいて。

 

言葉では言い表せないほど、貴重な時間を共にして。

 

自分のやっていきたいことの、

これまでまだまだぼんやりしていた部分が、また一つ明確になったような。

 

そんな一日でした。

 

不登校でも大丈夫」の出版からこちら、

やろうやろうとしてもなぜか動きがとりにくかった「生け花」をお伝えするという私のもう一つの仕事は、

きっと、このことが明らかにならなければ無理だったのだと。

 

そう思える、それはそれは重要な気づきでした。

 

 

まだまだ、それを言葉にするところまでには至りませんが。

 

明らかに、多くの人のためになるだろう、と思える内容で。

 

それははっきりと、私にこれをする価値があると思わせてくれるもので。

 

とても大きな、勇気をいただいた気持ちです。

 

 

「誰かのために」

 

という言い方は、いつもはあまり好きではなくて。

 

そうではなく、自分のためにやっていることが結果的に誰かの役にたっていた…くらいのニュアンスの方が好ましいと思っており、実際、それは今も変わらないのですが。

 

一見矛盾しているようだけれど、

 

 

「多くの人のためになる」と思えることが、自分の動く力となってくれる、そのこともまた事実で。

 

「誰の役にもたちはしない」とか

「かえって世界を悪くしている」と思えることで動いていれば、

どんどん自分の命が削られる感覚がする気がします。

 

だからまわりくどい言い方だけれど、

「他の人のためになる」と思えることは、

結果的に「自分のため」になっている。

 

 

今書いていて思ったのですが、

 

「誰かのため」の「誰か」の中に、自分はすでに、当然のように入っている。

そんな感覚なのかもしれません。

 

「この世に生きているものたち」

 

という大きすぎる「いのち」の単位でくくれば、当然そこには、「目の前の人」も「私」も、例外なく含まれているといえるのでしょう。

 

 

 

 

一か月ぶりの、晴空便りですが、

この一か月もまた、素晴らしい出会いに満ちた日々でした。

 

 

新しい春を迎え、

ここからまた、新たに芽吹いてくるものたちを

心待ちに。

 

 

 

みなさまもどうぞ、よい日々をお過ごしください。

 

 

  末富晶  -Sho SUETOMI-

 

 

 

 

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新しい年も良い年に

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  <生け花・グラジオラス・モンステラ・末富晶>

 


2019年になりました。

みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

「いつも」とはリズムが変わる年末年始の特別な時期も過ぎ、

あっという間にまた日常が戻ってきました。

 

個人的には年々、年末年始の忙しさが増していると感じているのですが、

今時、年末の数日間ただひたすらに新年を迎える準備に追われるなどということは、むしろありがたく幸せなことなのかもしれない、と思ったりもします。

 

物心ついたときから、毎年必ず、同じ味の同じおせちを、家族で囲んでいる。

 

自ずと、昨年は…とか何年前は…と過ぎた昔のお正月を思い出すきっかけにもなり、

 

私が子どもの頃には元気に生きていた人が既にこの世の人でなくなっていたり、

ほんの数年前まで影も形もなかった人がこの世に生まれ、今では当たり前のように同じ机を囲んでいたり。

 

数十年変わらぬおせち料理のまわりで、

人々の顔ぶれだけが少しずつ変化していると知れる。

 

改めて、なんと不思議なことだろうと思えます。

 

 

昨年は、私にとって特別な一年でした。

 

どの年も本当はそう言えて、特別ではない年などないのでしょうけれど。

 

 

だけどやっぱり、特に本を出版させていただいたことは、とてもとても大きなことで。

 

 

数ヶ月経った今も、図書館の棚に自分の書いた本が平然と並んでいるのを目にすると、なんだか夢の中の出来事のようにも思えます。

 

 

不登校でも大丈夫」は私からのお便りとして、ビンに入れられ、大海原に浮かべられ、今現在もまだまだ無数に漂流中で。

 

その行き先も、受取手も、私にはほぼ知ることができないけれど。

 

 

今年もどこかで、誰かに受け取ってもらい、

そこから新しい流れが起こることが、続いていくといい。

 

 

そんな風に、願っています。

 

 

2019年が

みなさまにとって素晴らしい年でありますように。

 

 

 

  末富 晶 -Sho SUETOMI-

 

 

 

著書「不登校でも大丈夫」(岩波ジュニア新書)発売中です

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